峰守雑記帳

小説家・峰守ひろかずが、見聞きしたことや思ったことを記録したり、自作を紹介したりするブログです。峰守の仕事については→ https://minemori-h.hatenablog.com/

「予言獣大図鑑」見本誌届きました

 もうじき(2023年12月8日頃)、文学通信から「予言獣大図鑑」という本が刊行され、それにちょっと関わっていることは前の記事で書きました。

「予言獣大図鑑」出ます - 峰守雑記帳

 先日、その実物が届きましたので、改めて紹介というか感想というか、そんなことを書いてみようと思います。

 

 

 実際に手に取ってみてまず感じたのは「分厚い」「デカい」ということ。サイズはもちろん前から知ってましたが、ほぼほぼ文庫ばっかり書いてきた身としては、著者見本としてこんなデカい本が届いたのは初めてで興奮しました。

 本の内容については先日の記事でも書きましたし、詳しくは公式サイトを参照いただきたいのですが、タイトル通り予言獣(予言をして消えた妖怪的なもの)の図鑑です。

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 予言獣とは何なのかについては、冒頭に、長野栄俊さんによる序章「「予言獣」とは何ものか?─研究史の整理と再定義─」が収録されているので素人でも安心。

 図鑑本体となる資料図鑑ページは、顔は人で体が魚の「神社姫・姫魚」系、小松左京や内田百閒でお馴染みの「件(クダン)」系、コロナ禍で有名になったアマビエを含む「アマビコ」系などなどに分類されております。

 本文中にもありますが、一般的な妖怪画と比べて、予言獣の絵ってちゃんとした絵師が描いてないものが多いんですね。なので端的に言ってあんまり上手くないんですが、普段絵とか描かないであろう人がどうにか特徴をとらえようとしていることは伝わってきて、そこに得も言われぬ味があると思います。

 個人的には、神田明神に現れた人型予言獣(予言人……?)「きたいの童子」のバリエーションが、書き手の画風がはっきり出ていて好きです。

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 編纂時点で見つかってる資料はとにかく全部収録する!!!という力強い方針だったので、ざっくりした妖怪図鑑では省かれそうなのもしっかり載ってます。

 アマビエとアマビコの間に位置する(かもしれない)という、あたかも高起動試作型ザクかグフ試作実験機みたいなポジションの「アマヒユ」や、「我は人間でも魚でもない」とアニメのグリッドマンの主題歌みたいなことを言ったおじさんが掲載された本は「予言獣大図鑑」だけ! これはあなた貴重ですよ。

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 第一部はそんな感じの資料集ですが、続く第二部は予言獣論。

 ここでは予言獣の周辺についても触れられており、笹方政紀さんの「件(クダン)の予言」では、予言獣の代表格っぽいクダンが意外と予言をしないことについて、同じく「繰り返す人魚の流行」では、神社姫の類型に連なるものの予言をしないものたち(人魚)についても触れられており、痒い所に手が届く構成となっております。

 新聞記者である岩間理紀さんによる「「予言獣の探し方」メモランダム ─記者のデジタル利活用の事例から─」は、予言獣資料の発見ルポ的な内容。私、UMAを追うノンフィクションとか大好きなんですが、そういうのと似たテイストを感じて楽しく読めました。

 

 ちなみにわたくし峰守は、コロナ禍の頃から私のSNSを見てた方には「またかよ……」と思われるかもですが、いつの間にか疫病退散の妖怪として定着したアマビエを対象に、属性(権能)の変換が起こった経緯について書いております。

 余談ですが、これを調べる過程で、水木しげるという人の影響力の大きさを改めて感じたりしました。妖怪をやってると絶対出てくるんですよねこの方。偉大過ぎる。

 さらに余談ですけど、今ちょうど「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が公開中ですが、いやー良かったですね。好きなセリフは「つまんねえな!」と「やらせとけ!」です。

 閑話休題

 ご存じの方はご存じの通り、2020年のコロナ禍において、もともとは予言をする妖怪だったアマビエは、あれよあれよという間に疫病を退ける妖怪になり、そのまま定着してしまいました。

 定説を覆す資料が見つかったわけでもないのに、いつの間にかなんとなく事実が書き換えられ、「昔からそうだった」ことになってしまう。そういう現象が現代でも起こり得て、しかもその虚構に官も民も乗っかって、その状況は今も(多分これからも)続いていく……というのは、改めて考えるまでもなく結構怖い話だと思います。

 狭い観測範囲内の事実をまとめた拙い文章ですが、記録として本の形で残るのはありがたい。何らかの形で役に立つことを願っています。

 

 私の関わったパートは少ないので代表して言うのはおこがましいのですけれど、資料集としても記録としても貴重な本になっていると思います。よろしくお願いいたします。見えない世界の扉が開く!

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 追記。版元の文学通信さんにて、「予言獣大図鑑」とあわせて読みたい関連書(?)の紹介記事が出ておりまして、私は四冊挙げております。うち二冊が自著で恐縮ですが、何かの参考にしていただければ幸いです。

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「妖怪と自然の博物展」見てきました

 タンバティタニス(丹波竜)で恐竜好きにはお馴染みの兵庫県立・人と自然の博物館にて、「妖怪と自然の博物展」見てきました。

 

 妖怪扱いされた動物たちや、実在の動物や自然現象がネタ元かもしれない妖怪などについて展示・解説するという趣向の妖怪展。妖怪そのものを展示できるわけではないので、見られるのは妖怪扱いされたものたちの標本が主なんですが、実際にはこれくらいの大きさというのを見られるのは面白かったです。

 そうかテンはイタチより大きいのかという気付き。いつもお世話になっております。

 

 というか、妖怪ものばっかり読んだり書いたりしてると、想定する狐や狸の大きさがどんどん人間に近付いていくことってありませんか。僕はあるのですが、実際の大きさを見ることで脳内イメージをリセットできた気がします。

 キツネもタヌキも意外と小さいのだなあ。

 

 ヘイケガニもイメージよりだいぶ小さかった。脳内では1mくらいはあったんですよ。

 

 逆に想定より大きかったのが、河童の正体(かもしれないものの一つ)のニホンカワウソ。標本を見た時の体感としてはニホンザルよりデカい! これがそこらへんの川にいる光景を想像すると相当魅力的で、なんで絶滅させちゃったんだよと改めて思いました。愚かな地球人め。

 

 紹介されてるのはメジャーな妖怪が中心ですが、知らなかった説やローカル妖怪を知ることもできまして、海坊主の正体がスナメリの群れかもね、という話はナルホドでしたし、地元妖怪では沼島女郎(ぬしまじょろう)が印象的。

 要はオコゼなんですが、美人があえて醜く描いた自画像が実体化したというもので、パネルの紹介文が身も蓋もなくて味わい深かったことです。「能力:とても不細工な顔で釣り人に釣られる」!

 

 また、実物が存在しない系の妖怪では「怪音」という小豆洗いやヌエなど音声主体の妖怪の音を聞かせてくれるブースがありまして、みんぱくでやってた「驚異と怪異」展にも似た展示がありましたが、こういうのは専門施設ならではのやり方でいいですね。家ではなかなかできないので。

 実際に暗闇で聞くヌエの声は大変怪しく物悲しく、しかしこれ猿の顔の怪獣の声じゃないよなーとは思いました。あれはクチバシのある小動物の声だよ! と思ってしまうのは現代人だからなのだろうなあ。

 

 というわけで満喫してきました。

 あと、これは妖怪展とは関係ないんですが、最近できたという新しい収蔵庫(棟)では鳥類を中心とした標本展示室をガラス越しに見ることができまして、先日ヌエを読み終えて邪魅や巷説百物語にさかのぼってる身としては「ウワーッ『陰摩羅鬼の瑕』! 『陰摩羅鬼の瑕』だよ関口君!」と思いました。おわり。

 

特撮好きの視点で見る「仮面芸能の系譜」展

 奈良県立美術館50周年記念特別展「仮面芸能の系譜」が特撮好きとしてすげえ面白かった!という記事です。

 

 今回の展示で「伎楽」というジャンルを初めて知ったんですが、これ、顔面だけを隠す面じゃなくて、後頭部から顎まで覆うフルフェイスの仮面を使ったんだそうで。

 これに使われた面は立体としても面白いんですが、人形に衣装を着せて面をかぶせたマネキンや写真がまた良くてですね。

 

 

 いわゆる能面タイプのお面だと、見た時の印象が「顔を隠して演じてる人」止まりなのに対し、フルフェイスだと「そういう顔のモノ」に見えるんですよ(個人の感想です)。少なくとも「これは人間じゃないです! こういうやつです!」と言い張ってる感じは伝わってくる。かつ頭が異様にデカいのでその違和感が怖い!

 というわけで面白かったんですが、同時に「これ、知ってるやつだな」とも思ったわけです。たとえばゴレンジャーの仮面怪人(中盤以降の頭がやたらデカい連中)。たとえばキラメイジャーの邪面たち。

 印象として一番近いのは「行け!牛若小太郎」の妖怪でした。要するに物凄く特撮の文脈に見えるんですね。

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 そもそも伎楽に用いられた面には迦楼羅があって、ウルトラマンの初期案のベムラーはかなり迦楼羅様なので、その時点で「知ってるやつだ!」と思ったのですが、その「知ってるやつだ」感がずっと続く展示でした。

 たとえば展示の後半には実際にレプリカを被れるコーナーもありまして、被ってみると面は顔にみっしり密着するし視界は狭いし、特撮の本でよく見聞きするスーツアクターさんの視界や感覚が体感できるわけです。

 

 

 また、大和の猿楽コーナーでは今も各所に伝わる「翁」が紹介されていましたが、この「翁」、最初から面を付けて出てくる、つまり「こいつはこういう顔のモノですよ」というエクスキューズを用意する……のではなく、面と演じ手が別々に出てきて舞台上で面を付ける、つまり「人間が神(だか何だかよくわからないモノ)になってます」という過程を見せる芸能だそうです。

 これもまた、怪獣やヒーローの中に人が入っていることを隠さず、その上で面白がらせようとする和製特撮のスタンスと通じるものがあるのではないかという……。

 まあこれは適当なでっち上げなので信じないでほしいんですが、「人が人でないものを形作って演じようとするとどうなるか」というジャンルに親しんできた身としてはめちゃめちゃ面白い展示でした。

 

 あと、ジェットジャガーはここに混じってても違和感なさそうだな……とも思ったことです。目つきや口元が伝統芸能っぽいんですよね。

 

 

「予言獣大図鑑」出ます

 文学通信から12月上旬(8日頃?)に発売される予定の「予言獣大図鑑」という本にちょろっと関わっております、というお知らせです。

 

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 予言獣というのは「どこどこに出てきて予言した」という話とセットで語られる怪しいモノの総称で、まあ要するにあのアマビエみたいなやつです。あれの仲間は実は結構な数が存在するのですが、そういった図像とテキストを(編集時点で知り得る限り)全点、ざっと150点以上(!)掲載し、分類し、解説し、考察したのがこの本です。

 関わった人間が言うのも何ですが、これが2200円で買えるのはかなり破格だと思います。掲載されてる資料を一つ二つ任意の博物館に見に行って帰ってくるだけでこれ以上の交通費が掛かりますからね多分。

 あと、素人としては、掲載された資料全点について翻刻(活字化)と現代語訳が付いてるのがありがたい。連中の予言を続けて読んでいただくことで、いかに予言獣たちが適当な予言ばっかりしてきたのか痛感していただけると思います。あいつら気軽に人類の六割以上を滅ぼしすぎ。

 この本が成立する過程についてはどこまで話していいものか分からないのですが、本書の編集の中心となったのは、司書でありアーキビストであり、アマビエブームの渦中によくメディアでコメントしておられた長野栄俊さん。

 そこに、コロナ禍以降、予言獣関連の記事を一番多く手掛けた記者だと思われる毎日新聞の岩間理紀さん、クダン研究といえばこの人という感もある笹方政紀さんも加わっております。

 わたくし峰守は研究者でも記者でもないフィクション屋なわけで、正直、場違い感は否めなくもないのですが、「予言から疫病退散へ ─刊行物・報道から見るアマビエの属性の変質と定着─」というやや長めの文章一つと、「「ヨゲンノトリ」繁盛記」「アマビエ=変容する妖怪?」という短いコラムを二本書いております。

 このうち「予言から疫病退散へ」は、コロナ禍を挟んでアマビエの語られ方がどう変わったのかをまとめた内容で、私が2020年からやいやい言い続けてきたアマビエに騙されちゃなんねえ運動のある種の総決算となっております。とはいえこれで怒り止めというわけではなく、まとめることで改めて「こいつら適当すぎる」という憤りが湧いてきたので今後も言うとは思います。

 まあ私のパートはともかくとして、「こいつらこんなにいたんだ」「こんなのもいたんだ」という驚きがストレートに味わえる本になっていると思います。妖怪好きも怪異好きも歴史好きもオカルト好きもクリーチャー好きも楽しんでいただけるはずなので、よろしくお願いいたします。

金沢の妖怪スポットをまた巡ってきました

 性懲りもなく十月に金沢の妖怪スポットを巡ってきましたので、その時に見てきたところの記録です。

 なお前のレポートはこちらです ↓

金沢行ってきました(妖怪スポット巡り① 市街地編) - 峰守雑記帳

金沢行ってきました(妖怪スポット巡り② 山と川編) - 峰守雑記帳

 

大乗寺


 今回の最大の目的地だった立派な修行寺です。

 

 まずはここにまつわる伝説をお読みください。以下は「私家版金沢妖怪事典」からの引用です。

大きい蟹【おおきいかに】
大乗寺(長坂町)の何代目かの御坊さまの厳しさに耐えかね、井戸へ飛び込んで死んだ一人の坊さんが大きな蟹と化したもの。夜になると死んだ坊さんが井戸から現れ、蟹となり、寺にいる坊さんを食い殺した。三人ほどが犠牲になり、四人目の住職も住職を名乗る坊主に問答を挑まれたが、住職が「四足八足十足二足、にゅうっと出たのは目じゃないか」と言って数珠で叩くと、蟹は死んだ。それから怪しい坊さん(蟹)が夜中に出てくることはなくなり、四人目の人は寺に長く居続けた。

 

蟹の化け物【かにのばけもの】
越中の蟹谷村にいた蟹の化け物。あちこちの寺に問答を仕掛けて全部負かし、あとは加賀の大乗寺(長坂町)しかないと思って大乗寺を訪れ、そこの和尚に禅問答で負けて正体を現し、池へ浮いた。大乗寺の年一回の虫干しでは「イバラ蟹」という、針(トゲ)が生えて大きさは二十センチほどある蟹の甲羅が出されていた。

 

 問答を仕掛けてくるカニの化け物が高僧に退治されるという、いわゆる「蟹坊主」系の話ですが、一例目の話は蟹の正体が修行に耐えかねた僧だったとしているあたりが独特です。変身人間だ! 二つめの話も蟹が侵攻してくるあたりがいいですよね。

 この蟹坊主は元々好きな妖怪で、自作に出てもらったこともありますので、現場となる井戸や池はぜひとも見てみたい。

 というわけでお寺の方に聞いてみました。

 

「井戸はどこにありますか?」

「ありません」

「池はありますか?」

「ありません」

「大きな蟹の甲羅を毎年虫干ししていたと書いてありますが」

「聞いたこともないですね」

 

 ああ――。

 そうか――。

 初めから存在しなかったのだ――。

 井戸も――。

 池も――。

 蟹も――――――。

 

 というわけで何も見られませんでした。蟹坊主め! でもまあ妖怪スポット巡りでは往々にしてこういうことがあります。

 なお、お寺の方が言われるには、厳しい修行寺として昔から有名だったとのことなので、修行に耐えかねた僧が蟹になる話はそのあたりから生まれた可能性はあります。

 蟹は抜きにしても広くて静かで厳かで落ち着ける大変素敵なお寺でしたので、行って良かったのは確かです。でも井戸は見たかった。

 

▽須々幾(すすき)神社

 大乗寺金沢市の山の方でしたが、こっちは海側です。

 昔、ある武士が、河北潟(この近くの潟湖)で釣り上げたスズキが美しい女に姿を変えた。武士と女は結ばれるが、三年後に女は死んでしまう。武士は妻を須々幾神社の境内に埋葬し、武士も没後同じ塚に葬られた。この塚は三薄(みすすき)の宮と呼ばれ、塚にはススキが生えたが、このススキを切ると血が迸り、また、塚の祭祀を怠ると疫病が流行った……という話にまつわるのが、この須々幾神社です。

 

 いわゆる異類婚姻譚の中の魚女房系の話で、女が死ぬのではなく竜宮に呼ばれて海に帰ってしまうなど、バリエーションはいくつかあるようですが、エンディング部分が妙に湿っぽいというか縁起が悪くて印象的なんですよね、この話。

 ススキとスズキと須々幾の掛け言葉になってるあたりも好きです。

 この神社、話を読む限りではかなり海に近いイメージだったんですが、実際は海から結構離れており、農業集落の中の小さな神社という感じでした。まあ当時と今とでは海岸線の場所が全然違ってるんでしょうが。

 なお境内にススキがあれば拝んでこようと思ったんですが、一本も生えていませんでした。

 ああ――。

 そうか――。

 ススキも生えていなかったのだ――――。

 

▽御亭山(おちんやま)

 須々幾神社のすぐ近く、田んぼが広がる風景の中にある小さな丘です。


 かつて蓮如河北潟を見せるために土を盛って作られた山であり、ここに生える二本の榎は蓮如が刺した箸が伸びたもの、超常にある卵型の石は蓮如が持ったものと伝わっています。

 また、このあたり(才田町)は化け狐の話が多いところなのですが、この山の穴に住んでいた狐は最も老獪で賢かったとか。

 他にも、いわゆる椀貸伝説(法事とかでお膳が足りない時に不足分をレンタルしてくれるが、ケチなやつが返さなかったため貸してくれなくなった)なども伝わっている、盛りだくさんな山です。伝説を抜きにしても、開けた平地の中にポコッと盛り上がっている光景が面白い。

 ここを訪れた時はちょうど気持ちよく晴れており、山上から見える空は仮面ライダー響鬼」のタイトルロゴが出そうでした

 

▽倉ヶ岳の大池

 倉ヶ岳という山の山頂にある大きな池です。

 

勧進帳」他で知られる富樫左衛門がここに身を投げて以来、命日になると乗馬した左衛門の霊が出るだとか、高尾城で一揆勢に敗れた富樫政親が入水して以来、真っ赤な鞍が浮かぶようになったとか言われているのが(多分)この池だと思います。

 また、とある潜水の達人が潜ったところ、池の底で白髪の老翁が机に向って何かを書いていたという話もあります。老人は「ここへは二度と来てはいけないし、ここで見たことを誰かに話すと死ぬ」と警告したため、潜水名人はそのことをずっと黙っており、死に際に話したと言われています。

 で、実際に行ってみると、濁った静かな水面に周囲の風景が写り込んでいる神秘的な池で、いかにも出そうでした。いや、富樫左衛門の霊とか水底の老翁とかではなく熊が。

 レンタカーで池の近くまで行けたので見に行きましたけど、池に近付いて覗いてみたり、徒歩で一回りしたりするのは怖かったので断念しています。

 あれはもう絶対いる雰囲気でした。熊が。


▽高尾山

 高尾山は一向一揆に攻め滅ぼされた高尾城があった山でして、その山上には、城主の怨念が火の玉と化した「高尾(たこ)の坊主火」なる怪火が出ると言われています。

 この「高尾の坊主火」、金沢を代表する妖怪だとずっと思ってたんですが、ちょっと冷静になって考えてみると別にそこまで有名でもないんですよね。なんでそう思ってたんだろう。

 山上の見晴らし台への車道は封鎖されてまして、徒歩で登れる登山道はもう露骨に出そうだったので(熊が)、山上までは行けておりません。

 

 ただ、山の中腹からでも金沢城下から日本海まで見渡すことができ、なるほど山城を建てるにはもってこいの場所だなと思ったことです。


▽来教寺

 金沢中心地からほど近く、卯辰山の麓の寺院群の一つにあるお寺です。

 烏天狗の絵馬で有名だそうで、確かに本堂には烏天狗や天狗の絵馬がたくさん奉納されていました。

 お寺の方が言われるには、これらの絵馬は明治以降(日新日露戦争時代)の新しいものだそうですが、本堂内には帯刀した烏天狗・鼻高天狗の像が鎮座しておられ、京都の鞍馬寺とのかかわりもあるとのことで、由緒正しい天狗の寺とお見受けしました。

 その他、色々興味深い話も伺いましたがここでは省略します。エキサイティングだった。

 

▽光覚寺

 こちらも卯辰山の麓にあるお寺で、ここには飴買い幽霊の話が伝わってます。寺の前の坂は「飴屋坂」と呼ばれていたとか。

 

 ここを始め、金沢には飴買い幽霊(子育て幽霊)の話がとにかく多いのですが、分布や伝播の過程もちゃんと調べてみたいところ……といったところで、今回はこのくらいにしておきます。

 今回紹介した伝承について詳しく知りたい方は「私家版金沢妖怪事典」を(品切れ中なので持ってる人から借りるとか金沢市の図書館に行くなどして)読もう!

 

20thが良かったのでアバレンジャー全部見直した話、あと「最終回後の続編」についての雑感

(先日からちょっと風邪をやっていまして本業の書き物業務が滞っており、これはリハビリというか気分転換というか、そんな感じで書いた記事です)

 えー、先日公開・発売・配信された「爆竜戦隊アバレンジャー20th 許されざるアバレ」が良かったのでアバレンジャー関連を全部見直したけどやはり良かった、という話をします。

 

Vシネクスト「爆竜戦隊アバレンジャー20th 許されざるアバレ」 | 東映ビデオオフィシャルサイト

 

 具体的な感想の前に「一回終わった作品の続編」について。最近よくありますよね。ファンとしては嬉しいんですが、でもこの手の続編、割と不幸になりがちじゃないですか。円満勝利を勝ち取ったはずの主人公たちが国に指名手配されてたり、仲間の一人が犯罪者になってたり、行方不明になってたり、悪に負けて世界が年単位で支配されてたり、地球が八割がた滅亡してしまってたり、帝国を倒して姫と結ばれたと思ったのに息子とこじれにこじれて奥さんとも疎遠になってたり、現役考古学者を続けつつ息子と上手く行ったと思ったらそんなことはなく奥さんとも疎遠になってたり。ハリウッドはハリソン・フォードに恨みでもあるのか。

 

 いや分かるんですよ。「あの後もずっと平和でした」よりは「なぜあいつがあんなことに」とか「世界が大変だ」の方がつかみとして強いのは分かります。不幸になってた系の続編でも面白い作品はたくさんありますし、それにこっちもオタクやって長いので、「本編は本編で終わったので、これはパラレルというか別の何かだ」と切り分けて視聴するくらいのことはできます。キャストやスタッフのファンとしては、一種の顔見世興行だと思えば楽しむこともできます。
 でも、その作品への思い入れって登場人物たちへの共感ありきでもあるわけで「こんなことになるなら見せてもらわんでも……」という気持ちになることもありませんか。私はあります。

 

 で、そこでアバレンジャー20thですよ。

 ここから思いっきりネタバレしますが、世界は平和で、海外行ってた仲間が帰ってくるのでみんなで焼き肉の買い出しするところから始まり、仲間はスルスル集まり、久しぶりに会ったメンバーとは普通に近況報告という平和ぶり!

 もちろん事件も起きますが、あくまでゲストの個人的な話に終始して、それも別にそこまで重たいもんでもなく、うるさい悪(いいトリノイドでした)には憂いなくスカッと勝って、最後は打ち上げしながら「またね!」で終わる。「これですよ!」と思いました。これですよ。
 二十年という時間の重みも良かったですね。これが十年だと、つまり二十歳が三十歳になっても正直そんな変わりませんが、二十年だともう四十歳なので、四十路が頑張ってる感がいい味になってました。ちょうど主人公たちと同じ世代なので色々ジーンと来てしまった。
 あと、さすがに二十年経つと子供だった人の成長が如実で、時間経過をバシーンと叩きつけてくれるのも染みました。舞ちゃんがいいお嬢さんになってたのも、アスカの「上の娘が結婚しました」もグッと来ましたが、一番泣いたのは爆竜トリケラトプスの「大人になった僕の力を幸人さんに見せるケラ」でした。いたいけな頃の神木隆之介だったあの子が大人に……!
(この神木隆之介回の予告、「幸人さん、僕人間になりたいケラ! ソフトクリームを食べて恋もしたいケラ!」「馬鹿か!」という直球な暴言が印象的です。そんな言わんでも)

 

 で、20thはすこぶる良かったものの「アバレンジャーってこんなノリだったっけ」「もうちょっと重くなかったっけ」という気持ちもあり、見返したんですね。本編全部と関連作品全部。劇場版やVシネ、爆竜戦隊メンバーがゲスト出演する他作品のエピソード、ヤツデンワニがちょっと出てくる「ゴーカイジャーVSギャバン」まで一通り。

 改めて見直すと本編はやっぱ重かったです。

 敵の能力や作戦がカオスなのでバカバカしい不思議コメディ感はあるものの、話は基本的に重い。ブラックことアスカはもうずーっと曇ってるし、最初はテンションを上げるポジションだったレッドの凌駕も、途中から出てきたアバレキラーのおかげで苦悶タイムが長いし、ゲストもあんまり報われません。「この世の中思い通りにならないことは多いし、ろくでもないやつも多いし、お互いしんどいけど頑張ってこうぜ」くらいで終わりがちです。ただ、そのバランス感覚がおっさんになった身にはむしろしみじみ染みました。化石を掘り出せなかった爺さんの話とかいいですよね。見返してよかった。
 アクションも良く、アバレモードになったメンバーが敵を取り囲んで同時に腕のトゲを振り下ろすアクションこれが大好き。

 

 まあ、もうちょっと見たいなと思うところはもちろんあり、具体的に言うと仲間入りした後のアバレキラーの扱いです。あいつはその惜しさも含めてのキャラクター性だと分かりつつも、あの最期あってこその仲代先生だとは思いつつも、やっぱ「逝くのが早いですよ仲代先生!」とは思ってしまうわけですが、だからこそ、20thでイキイキしてアバレキラーをいじり倒すアバレッドは「もう見たいもの全部見せてもらいました」という感じで大変良かったです。

鬼太郎ノベライズ最終巻の見本誌が来ました

 10月12日頃発売予定の新刊「ゲゲゲの鬼太郎(5)名無しと真名」の見本誌が届きました。

 

ゲゲゲの鬼太郎(5)名無しと真名 | 読みたい本が見つかる キミノ書房 - ポプラキミノベル

 

ゲゲゲの鬼太郎」TVアニメ第6期ノベライズの最終巻となる巻で、アニエス編(バックベアード編)のクライマックスと、一年目クライマックスの名無しとの決着のエピソードが入っております。

 お値段は税込1,045円。ちょっとお高いのはこれまでの巻が三話構成だったのに対して
今回は四話入ってるからです。というか私の単著で千円超えたのは初めてじゃなかろうか。すみません。でも任意の十連ガチャ三分の一回分だと思えばだいぶお安いのではないでしょうか。そうでもないか。すみません。

 なお、「四話入ってる」と書きましたが、上記の版元の公式サイトに

 

この作品は、テレビアニメーションゲゲゲの鬼太郎』第6期の「第35話 運命の魔女たち」「第36話 日本全妖怪化計画」「第37話 決戦!! バックベアード」「第47話 赤子さらいの姑獲鳥」「第48話 絶望と漆黒の虚無」「第49話 名無しと真名」をもとにノベライズ用に再構成したものです。

 

 とあるように、実際は六話入っております。バックベアードのクライマックスをやるためにはアニエスが色々あって鬼太郎に頼るまでの話が必要だし名無し編に入るためには姑獲鳥の事件をきっかけに人間の対妖怪感情が変わる話が必要なわけで、こうなりますよね、という。

 アニメとちょっと構成変わってるところもあるんですが、そこはご容赦いただければ幸いです。ストーリーやテーマの上で残すべきところは残ってると思うので……。

 アニメの方はこの後も二年目が続きましたが、ノベライズはここで一区切りということで、アニメや原作に触れずにこれだけ読む方もおられるでしょうから、ひとまず終わった感じを出したい! ということで、全五巻の読み物として気持ちよく読み終えられるように書かせていただいたつもりです。アニメ六期見てた方にもそうでない方にも楽しんでいただければ幸いです。

 シリーズ全体についての感慨なんかは発売後に書ければと思いますが、とりあえず今日はお知らせということで。見えない世界の扉が開く!

 

 余談。このレーベルに限った話でもないですが、一般的に文庫の背表紙の上の方には作者名の頭文字である仮名と数字がいくつか付いてます。これは「そのレーベルでのその書き手の何冊目の本なのか」を示すナンバーなわけですが、ノベライズ版鬼太郎を並べると、「み-06-03」から「み-06-05」へと、数字が一つ飛んでるんですね。


 なぜかと言えば、これは間に水木先生作・画の一冊「水木しげるのおばけ学校 妖怪大戦争」が入ってるからなんですね。正しい並び順はこうなります。

 

水木しげるのおばけ学校 妖怪大戦争 | 読みたい本が見つかる キミノ書房 - ポプラキミノベル


 つまり、ノベライズ版の上にある「み-06」は「峰守ひろかず」の「み」ではなく
水木しげる」先生の「み」である、ということです。だから何だという話なんですが。