峰守雑記帳

小説家・峰守ひろかずが、見聞きしたことや思ったことを記録したり、自作を紹介したりするブログです。峰守の仕事については→ https://minemori-h.hatenablog.com/

「能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県 第2回」で話してきました

 先の日記で告知した通り、6月8日に石川県立図書館で開催された「能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県 第2回」に登壇してきました。ご参加くださった皆様、ともにご登壇くださった方々、ありがとうございます。

 私は金沢の妖怪伝承担当で、とりあえず写真や資料の画像をドサッと用意しておき、
話の流れで連想したネタを紹介するという感じでやらせていただきました。

 ひとまずイベントは無事に(だと思う)終わったのですが、何を話したか忘れてしまいそうなので、備忘用のメモを兼ねて、「確か、これの話をした気がする」という感じの話題をざっとリストアップしておきます。

 なお、各ネタの詳細についての解説は長くなるので割愛します。詳しく知りたい方はこのブログの過去記事や各種妖怪事典などをご参照ください。

 

・金沢妖怪マップを見せた上で「とにかく多いんですよ!」という話

 

・金沢の天狗文化について色々
 ・昔から天狗による神隠しが多かった土地で、そのことには金沢三文豪全員が言及しているという話
 ・金沢の天狗の大ボスである九万坊が祀られた黒壁山の薬王寺奥の院に行った話
 ・それ以外の信仰の実例としての卯辰山摩利支天堂や来教寺の天狗絵馬の紹介
 ・天狗は人を攫うものなのに妙に愛されている、という話。実例としての天狗ハム、天狗舞、圓八のあんころ餅など

 

・飴買い幽霊の多さと、その代表としての道入寺の幽霊の掛軸について

 

・金沢の学校の怪談について。大正時代に出た「目が三つで頭三角の化物」の話と、八十年代後半の学校の怪談を聞き集めた傑作論文「校長先生、人、殺してん 少女は何を語り損ねたのか」の紹介

 

能登の蟹問答伝承と金沢の蟹問答伝承地である大乗寺に行ったら何も残ってなかった話

 

・石川全域に伝わる猿鬼退治伝承と石川県立歴史博物館にある猿鬼の角の紹介
(猿の角がY字なんですか?というツッコミを松原タニシ様からいただきました。ぼくも同感です)

 

ツチノコ坂と金沢のツチノコについて

 

・湯涌の住民がカワビソ(河童?カワウソ?)からもらったという秘法「アイスの玉」について
(これについて、トークイベント後、地元の公民館の方から、現在は行方が分からなくなっていることと、その話が動画でアップロードされていることを教えていただきました。情報提供ありがとうございます!)

www.youtube.com

 

・本船寺に伝わるカワソ(カワウソ?)がくれた短刀の話

 

浅野川の番人だった武士が森下川で河太郎(河童)を食べた話

 

・旧松原町に出た首だけの牛鬼の話

 

香林坊の縁切り神(貴船明神)と丑の刻参りの話

 

・千歳の白狐が書いた掛軸があるという浅野川稲荷神社に行ったら、やたらアマビエを推していた話(あと白山に出たとされるヨゲンノトリの話)

 

手取川に出た謎の触手クリーチャー「水熊」の話

 

 ……かなりうろ覚えなんですが、このへんの話をした気がします、多分。違ったかなあ。

 私は喋りがどうにも得意ではないのでお聞き苦しいところもあったと思うのですが、石川や金沢の妖怪文化の奥深さと面白さを少しでも知ってもらえたなら何よりです。

 なお、おかげさまでネタはまだまだありますので、どうぞよろしくお願いいたします(虚空に向かって)

続・「能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県 第2回(6月8日開催)」登壇のおしらせ

能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県」第2回に参加することは先日の記事でお伝えした通りですが、開催日が近付いてきましたので、こういう話をするつもりです、という予告?とあわせて、再告知させていただこうと思いまして、この記事を更新した次第です。

 まず最初にお伝えしておくと、会場内では物販ブースが設けられ、私の書いたものに関して言えば、同人誌「私家版金沢妖怪事典」他が販売される予定です。

 また、もしもサイン等のご要望がありましたら、休憩時間や終了後に出来る限り対応させていただくつもりですので、お気軽にお声がけくださいませ。

 イベント概要やお申込みはこちら↓からどうぞ。

www.library.pref.ishikawa.lg.jp

 

 で、肝心のトーク内容については、他のお三方もそれぞれ持ちネタを話されることでしょうが、とりあえず私は金沢の妖怪伝承・記録を中心に「ここにはこんな妖怪が出たらしいんですよ」という話をするつもりです。

 これまで金沢妖怪についてまとめたり現地探訪したりしてきたことは、このブログでも書いてきましたが、せっかく地元で合法的に話せる貴重な(多分最初で最後の)機会ですから、その成果をご紹介できればと思っています。

 なお、とりあえず現時点で確認できている怪談奇談をGoogleマップのマイマップ機能でまとめてみたらこんな感じになりました。

 多い!

 

 なお金沢城周辺をアップにするとこんな感じです。

 やっぱ多い!

 

ちなみに上図の色と点数は以下の通りです。

  • 赤:天狗……39箇所
  • 青:その他妖怪……40箇所
  • 緑:竜・蛇……20箇所
  • 黄色:狐……22箇所
  • 焦げ茶:その他動植物……41箇所
  • 濃い灰:霊・祟り……77箇所
  • オレンジ:火の玉・怪光……24箇所
  • 紫:その他怪現象……85箇所
  • 黒:怪人・偉人関連……25箇所
  • 薄い灰:学校の怪談……50箇所

 同じ場所に出た同種の怪異はひとまとめにしており、場所が明記されていない怪談奇談は含めていませんので、実際はもっと多いです。凄いね。

 これらを一個ずつ解説していくと日が暮れても終わりませんので(やっていいならやりたいですが)、かいつまんだり総括したりしつつ、地元怪異の面白さを紹介できればと思っております。

 無論、これまでこのブログで紹介したものにも触れますが、それ以外にも、市内の意外な妖怪スポット、たとえば尾山神社の周辺や久保市乙剣宮(泉鏡花記念館の向かい側ですね)の境内の稲荷社などにも言及できればと思ってます。

 

 

 

 その他、八十年代の金沢の学校の怪談をひたすら集めた傑作論文「校長先生、人、殺してん ―少女は何を語り損ねたのか―」の紹介、さらには金沢以外の石川県内の怪異について等々、ネタは多めに用意しています。

 全部話すのは無理でしょうが、話すことが足りなくなるよりは余る方が全然いいですし、千円払っていただくからには相応の知識を持って帰っていただきたいので、現在絶賛仕込み中です。ご期待ください。

 

 なお、近現代の石川県内で多く見られた天狗による神隠しおよび火の玉(怪光)と、UFOの町として知られる石川県羽咋市とを関連付けた「天狗はアブダクションのために石川県に飛来した宇宙人だった」説の提唱については、脳内会議の結果、胸の内に秘めておくことにしました。

 詳しく聞きたい人は終わってから個人的にお声がけください。

金沢の妖怪スポットを巡ってきました(伝燈寺・小立野編)

 もう一か月近く前の話になりますが、またも金沢の妖怪スポットをいくつか回ってきましたので、自分用の覚え書きも兼ねて簡単なレポートなど書いてみます。

 

▽伝燈寺

 まず向かったのは伝燈寺。地元の方に言ってもなかなか通じにくいお寺(集落名も同じく)なんですが、星稜高校の山手側のあたり、山裾から森の中に延びる石段を登った先にある古寺です。

 

 

 一応最寄りのバス停はありますが、乗り換えが面倒なので、金沢駅から直通で行ける「山王口」で降りてそこから歩いた方がまだ早いです。

 ここには何が出たかというと、これが多いんですよ。

 化け狐が六十歳ほどの人の姿になり、毎日伝燈寺に参詣していた。狐は和尚に「お勤めのおかげで成仏できると思う。そのお礼に能をお目に掛けたい」と申し出たが、後日、笛吹き役の猫「紺屋の太郎」が足を痛めたので延期してほしいと言いに来た。これを聞いた寺の弟子が紺屋へ行くと、実際に猫が足を痛めて寝ていたが、弟子たちが騒ぐのを聞いて猫は姿を消してしまった。その後、狐の化けた老人は寺を再訪し、「猫が恥ずかしがって笛吹き役を辞退したので、能は見せられなくなった」と告げ、それっきり姿を見せなかったという。

(「咄随筆」より)

 

 元禄の初め、多くの狼が田畑を荒らし、人々を食っていたが、ある夜、寺から白い犬が二匹現れて多くの狼を嚙み殺し、狼を追い払った。不思議に思った和尚が傳灯寺(伝燈寺)の鎮守堂の二つの高麗狗(狛犬)の手足が汚れ、口元には血が付いていたので、この高麗狗たちが村を守ってくれたことが分かった。さらに一人の老人が、この高麗狗たちは天正時代にも猪の群れを追い払ったことがあると語ったので、人々は感嘆した。

(「三州奇談」より)

 

 伝燈寺の裏山の頂上の堂には九万坊という天狗が祀られている。この堂は伝灯寺とは無関係で、参詣者は少ないといわれる。九万坊は九万坊大権現とも呼ばれ、黒壁山薬王寺を始めとした金沢市内各所の寺院・お堂に祀られる地元天狗の代表格。

(「金沢市史 資料編 一四 民俗」より)

 

 運良禅師が伝燈寺の本堂内の左手にあった地蔵堂に一泊した際、悪四郎という山賊が禅師に暗中で切りつけたが、翌朝になると禅師は無事で、石地蔵の鼻先に刀傷が残っていた。悪四郎は驚き懺悔して禅師の弟子となり、伝燈寺の二代目和尚となったという。この地蔵は身代わり地蔵と呼ばれた。
(「日本の伝説一二 加賀・能登の伝説」、「金沢の昔話と伝説」より)

 どうですかこの盛り沢山ぶり!

 個人的には一番上の化け猫や妖狐が能やってる話が特に好きです。「種族を越えて趣味のサークルを組む妖怪」という設定も、「笛担当の化け猫が身バレして恥ずかしがって逃げちゃった」というオチもいずれも愛らしく味わい深い。

 今で言うと、マチュアバンド組んでたけどギターが身バレしたので出られなくなりました、みたいな感じですかね。切実だ。

 まあこの能サークルは遺物も記録も無いんですけど、その他のものは物証がありそうだし、見られるなら見てみたい。というわけで行ってみました。

 実に雰囲気のあるお寺ですが、例によって無人で、建物も施錠されていて入れない。境内には地蔵も狛犬も見当たらず、お堂があるはずの裏の山に入る道もよく分からない。残念だけど仕方ないか……と諦めて帰りそうになりましたが、ちょうど近くで地元在住と思われるご年配の男性の方が田圃に電柵を張っておられてですね。

 駄目元で尋ねてみたところ、この方が凄かった。

(以下の会話はうろ覚えの記憶をもとに再現したもので実際の内容とは異なります)

 

「山の上にお堂があると聞いたんですが」

「ああ、九万坊さんやな。あのへんの(お寺の裏山を指さす)背の高い木の向こう側にあって、山の右からでも左からでも登れる。ご神体は移されたから今はお堂には無いけどな」
「あと、顔に傷がついたお地蔵さんがあったと」

「身代わり地蔵さんやな。今はお寺の中にある」

狛犬が……」

「明治の神仏分離令で神仏混交が禁止された時に、近くの三河神社に移されたんや」

 

 すごい! この人全部教えてくれる!

 何が驚いたって、こっちは「九万坊」や「身代わり地蔵」という名前すら出してないんですよ。なのに名前がすらすら出てくるところが凄い。

 さらに、ご住職はいないが住んでいる方はいる、日中は出かけているが事前に連絡しておけばお寺の中を見せてもらうことも可能である、ということも教えていただきました。聞いてみるもんです。

 というわけで丁寧にお礼を言った上で、(お寺の中にあるという身代わり地蔵は諦めて)九万坊のお堂を探しにお寺の裏山に向かったわけですが……。

 

 

 写真の右にあるのが伝燈寺の屋根で、左にあるのが件の裏山です。

 ここがまあ良い感じに荒れており、どこが道なんだかよく分からない。しかも傾斜はきついし、木は倒れてるし、足もとはぬかるんでるし、猪用の罠はあるし、ダニもいるというハードな道でしたが、とりあえず上を目指して進んでみたところ、ありました! お堂が!

 

 

 これが九万坊を祀っていたというお堂です。正面から見るとこんな↓感じ。

 

 

 

 確かに中は空っぽでしたが(今はご神体は別の施設に移されているそうです)、茂みの向こうにヌッと建つ佇まいは凄まじく良く、「地元に根差した天狗信仰が確かにここにあったのだ」と感動しながら手を合わせてきました。

 で、後は山を下るだけなんですが、ここで軽いトラブルが。

 この山、元々は全体が境内だったのか、ところどころに石碑やお墓や小さな平地があって、それらが細い道で繋がってるんですね。

 で、私はアホだったので、あと、この時点で結構歩き疲れていたので、最初に見つけた石碑前の平地にリュックを下ろしてお堂に向かいました。行きはとにかく上に向かえば良かったんですが、下りは分岐しているわけで、なんも考えずに歩いてきたからどっちから来たか覚えていないという体たらく。

 適当に下ったら荷物を置いたポイントを通らずに麓に出てしまったりして、ちょっと(かなり)焦りました。

 

三河神社

 伝燈寺からさらに1キロくらい先にある、これまた山裾の石段を登った先にある神社で、ここも無人です。

 

 

 参道脇に設置されている狛犬は令和になって新造された新しいもので、お目当ての先代狛犬コンビは地べたに置かれていました。

 

 

「かつて動いて村人を守って云々」という由来を書いた石碑もありましたが、元は伝燈寺にあった、という記述は見当たらず。

 それはともかく、地元住民のピンチの時に動いて戦う狛犬という設定は怪獣ファンとしてはキングシーサー(あっちは狛犬ではなくシーサーですが)を思い出すわけで。

 誰もいないのをいいことに水分補給で一息入れつつ「ミヤラビの祈り」を歌っていたところ、いつの間にか参拝客が来ていて恥ずかしい思いをしたりしました。

 山中の無人の神社でキングシーサーの復活を祈っていたおっさんはこれはこれで怪異かもしれない。怪しいものではありません。

www.youtube.com

 

▽宝円寺

 ここから先は小立野周辺編となります。小立野は石川県立図書館のあるエリアでして、先日の県図書のチャリティトークイベントに行くついでに回ってきました。

 なお、6月8日開催予定の第二回には僭越ながら私も出ますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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 閑話休題

 小立野にある宝円寺は、前田家の菩提寺でもあった由緒ある古刹で、境内には俵屋宗達のお墓もあります。

 

 

 明治頃まではこの奥には森が広がっていたそうで、天狗に攫われた人がよく見つかる場所として記録に残っています。

 明治維新前後の時代までは人が天狗に攫われることはよくあった。事件が起こるのは主に梅雨前後。失踪者の捜索の際には武器を持ち、城下や近郊の魔所へ行き、深夜になってから探す相手の名前を呼んで回った。

 魔所とされたのは、小立野寶圓寺(宝円寺)の森(小立野)、天徳院の森(小立野)、鶴間谷(小立野)など。これを行うと、二、三日以内に森の中や山奥で見つかることが多かった。

(「加能民俗研究四八「「天狗に攫はる」報道を読む ―金沢における天狗観の変容―」」より)

 今は森がないのは分かっていたので、なるほどここに森があったのだなー、というのをやるためだけに言ったんですが、ご住職に聞いてみたところ思わぬ収穫が。

 意外にも、山門脇にある地蔵堂の地蔵は香林坊富永家から移転したものだそうで。

 この富永家というのは鬼を祀っていたことで知られる武家です。「この家では節分の時に『福は内、鬼も内』と唱える」という話は結構有名だったようで、「金沢古蹟志」、「金沢市史 資料編 一四 民俗」「日本の伝説一二 加賀・能登の伝説」等、多くの資料に記されています。

 で、この富永家にまつわる話にはこういうのもあるんですね。

 鬼を祀ることで知られる富永家では、気性の激しい当主が侍女を斬って井戸に投じたことがあり、それ以来、二代・三代にわたって富永家に目を患うものが出た。殺された侍女の祟りとされ、供養のため邸内に地蔵堂が建立された。

 この地蔵は香林坊下の富永家屋敷跡とされる土地に昭和34年まであったが、地域の開発整備のために小林寺前に移された。

(「民間伝承第三十五巻第三号「「福は内鬼も内」の家」」より)

 ここでは「小林寺前に移された」とありますが、どうもさらにその後に宝円寺に移転していたらしく、それがこれです。多分。

 

 

 

天神坂

 小立野は河岸段丘という盛り上がった地形なので、崖めいた急な坂がそこら中にあります。天神坂はその一つで、ここはこういう話の舞台です。

 乱暴者として嫌われていた孫兵衛という男が、元文年間に小立野の天神坂で黒衣の法師に出会った。法師は、深夜、一陣の生臭い風と共に現れ、背丈は七尺(約二・一メートル)あった。孫兵衛が石を投げつけると法師は孫兵衛に組み付いた。

 法師の方が力が強かったが、喉が少し柔らかいことに気付いた孫兵衛は喉に噛みつき、法師がひるんだ隙に取り押さえたが、法師は孫兵衛を振り払って逃げた。孫兵衛の体は血だらけで毛髪は全てなくなっており、それ以降毛が生えなくなったため、孫兵衛は奉公を辞め、悪行を慎んで寺を渡り歩くようになったという。

(「三州奇談」より)

 2mの大入道が出た!という話ですが、今は何が残っているわけでもなく。多分この辺かなーという感じで歩いてきました。

 

 

 このあたりの坂は多いのでサクサク行きます。

 

▽牛坂

 これまた小立野の坂(というか斜面)です。石川県立図書館のすぐ近くですね。

 

 

 ここに残ってる話はこういうやつです。

 小立野の牛坂あたりには古く巨大な墳墓がいくつもあった。ここは観月に向いている場所で、高麗から渡ってきた脇田如鐵はこの場で故郷の風景を思い出して涙したというが、ここで酒を飲んだり酔ったりすると墳墓の霊が祟りを為すと言い伝えられている。

(「金沢古蹟志」より)

 坂の周りを適当にうろうろしたのですが、件の墳墓は確認できず。今は(今も?)木が茂っていて月は見にくそうでした。

 

▽鶴間坂

 これまた同じく小立野にある坂です。

 

 

 今の地名は「鶴間坂」ですが、古い資料では「鶴間谷」「ツルマ谷」という表記が多く……というか、これらは同じ場所だと思うんですが、違ったらすみません。

 ここは人を攫う天狗が出た場所だそうです。

 小立野裏のツルマ谷や向山(末広町卯辰山)の天狗松には天狗が住んでおり、よく子どもを攫った。失せ子があった時は各戸から一人出て青竹を持ち、ツルマ谷から天狗松までを失踪者の名前を呼んで回った。

 八歳ばかりの娘が天狗に取られた時もこのように呼び回ったとろ、田の中にぼんやり立っていたのを発見された。どうしてここにいたのか尋ねられると、娘は「蓑を着た老人に誘われるがままに従い、その後のことは覚えていない」と答えたという。
(「土の鈴 第十五号「続天狗物語」」より)

 先の宝円寺の森の話のように、金沢は天狗による神隠しの話が滅茶苦茶多いんですが、ここもその一つです。

 ちなみにこの鶴間谷、昔は火葬場があり、その近くでは狐が幻を見せることもあったとか(「続咄随筆」より)。

 今は一応舗装されてはいるものの、車両は通行禁止で、切り立った斜面と背の高い森(場所によっては竹林)に挟まれた陰気な場所で、舗装道路の脇には古めかしい石段もあり、確かに一昔前は怖かっただろうなーと思える雰囲気がありました。

 

 

 まあ残念ながら天狗の気配はありませんでしたが、全然逃げないカラスがおり威圧感を覚えました。

 

 

 しかし小立野の妖怪スポットは坂が多くて疲れる! 

 といったところで今回のレポートはここまで。

 

 以下、宣伝です。

 先述の、石川県立図書館で6月8日に開催予定のチャリティトークイベントでは、今回のネタも含めて、あなたの知らない(と思う)金沢妖怪の世界について話させていただく予定です。

 ここを読んで興味を持ってくださった方のお越しもお待ちしております。

サイコパスの作るやつ」と言われた金沢市内妖怪スポット地図も見やすく作り直して持っていく予定です。乞うご期待。

 

 

 

「能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県 第2回(6月8日開催)」登壇のおしらせ

 2024年6月8日(土)に石川県立図書館で開催されるトークイベント「能登半島ふしぎ話チャリティ・トーク in 石川県 第2回」に、僭越ながら参加させていただくこととなりました。

www.library.pref.ishikawa.lg.jp

 

 トークテーマは泉鏡花や金沢の妖怪や伝承などなど。

 登壇者は、本イベントの主催者でありホラー・怪談作家の田辺青蛙様、文芸評論家でアンソロジスト東雅夫様、お笑い芸人で実話怪談にもお詳しい松原タニシ様、それと私です。

 上の画像にもありますが、開催日時は2024年6月8日(土)14:00~16:00、参加費は1,000円(当日現地にて現金払い)で、いただいた参加費は全額日本赤十字社に令和6年能登半島地震災害義援金として寄付されます。参加定員は140名で、事前申込制・先着順です。↓のリンクから申し込めます。皆様のご参加をお待ちしております。

 

 怪談やトークのプロの方がおられる中で喋りの素人のお前が何を話すんだ、という気はしますが、金沢をネタにした話を何作か書かせてもらった身としては、チャリティという形で少しでも貢献できるなら……ということで、ありがたく末席に加えさせていただきました。

 一応、金沢を舞台にした妖怪ものを書いたり、その資料を集めたりした時の経験を踏まえ、土地に伝わる新旧の怪談奇談妖怪譚の幅広さや特徴、現地探訪時のエピソードなどなどを、写真や図版を交えつつお話しできればと思っております。

 なお、先日(4月21日)に開催された第一回目は一聴講者として楽しませていただきまして、「金沢の誇る魔境(の一つ)であるところの黒壁山が鏡花の『高野聖』の舞台のモデルなんじゃない?」という話は、まさしくそういう話を書いた作家としては思わずガッツポーズでした。

 一回目の感じを見ると地元の方が多そうでしたが、地元に詳しい方もそうでない方も楽しめるようなネタを考えていますので、遠方の方も金沢観光のついでにお立ち寄りいただければ幸いです。会場の石川県立図書館はGフォース本部なんかを思わせるかっこいい建物なので一見の価値ありですよ。

新宿の妖怪学(や東映ヒーロー)の聖地などを回ってきました

 先日、久々に上京する機会があったので、新宿方面の妖怪がかったスポットをピンポイントで回ってきました。

 まず最初に行ったのは全勝寺

 四谷三丁目駅から歩いて十分ほど、古い住宅街の中にあるお寺です。

 このお寺にはこういう伝説が残っております。

四谷杉大門の全勝寺に一切経の倉庫があつて、お経ばかりでなく、多様多種の書冊(※本のこと)が納めてあつた。そして誰にでも貸してくれる。借覧者は返還する際に、必ず何なりとも一冊子を寄附する例で、ほとんど図書館の体裁をなして居た。(中略)昔は経蔵の施主本姫(ほんひめ)様といふ女性が、一切経を二度まで通読したほどの読書家で、自己の遺体を瘞埋(えいまい)した上にこの書庫を建てさせ(以下略)
(「大名生活の内秘」より)

 古文なので分かりにくいところもありますが、要するに、昔、大変な読書家だったことから『本姫(ほんひめ)』と呼ばれたお姫様が若くして亡くなり、その蔵書がこのお寺に収められた、という話です。

 その本は図書館のように誰でも借りることができたが、返す時は一冊別の本を寄贈しなければならないという決まりがあり、本を返さないとお姫様が督促に来る……という、怖いんだか怖くないんだか微妙な伝説とセットで語り残されています。

 江戸時代に公共図書館的な仕組みがあったらしい、あと返さなかった時のペナルティがだいぶヌルい(元図書館員としては一軒一軒督促に回る辛さはよく分かりますし、お姫様は祟るとかしてもいいと思います)あたりが味わい深くていいですね。

 新宿の住宅街のど真ん中という舞台も合わせて好きな話でして、これを元ネタにしたのが拙著「新宿もののけ図書館利用案内」です。

 上記の書庫は時代を経て妖怪や幽霊専用の図書館として続いていた……という設定で、館長の本姫様に館長代理を押し付けられた若い化け猫が、人間の司書を雇って二人三脚で頑張る大都会ほっこり人情ものです。2巻まで出ておりますのでよろしくお願いいたします。ちなみにこの本、なぜか新宿歴史博物館(良い博物館です)には郷土資料扱いで所蔵されています。ありがたいことです。

 あと、この全勝寺、四方を建物に囲まれてる上、入口が一見すると民家にしか見えないのでかなり分かりにくいです。ご注意を。

 実際に行ってみても本姫様ゆかりの何があるわけでもないですが、新宿歴史博物館(良い博物館です)に行く途中に寄るとちょうどいい位置なので合わせて巡るコースがおすすめです。

 

 さて、ここからが今回の本題。

 井上円了(以下文中の敬称略)という人がいます。というか、いました。戦前に活躍した仏教哲学者で、東洋大学創始者として有名ですが、その界隈では「妖怪学」の人として知られています。

 妖怪学というのは、科学的啓蒙精神に則って妖怪(※ここで言う「妖怪」は占いや伝説を含む迷信全般を指します)の正体を暴く学問のことで、これの提唱者であり代表者が円了です。

 円了の妖怪学を扱った著作は色々ありまして、総論的な「妖怪学講義」が多分一番有名ですが、個人的には「この話はこういう理屈で否定できる! はい次!」という一題一答形式で具体的な事例をズバズバ切っていく「妖怪玄談」「妖怪百談」あたりが好みです。

www.aozora.gr.jp

dl.ndl.go.jp

 各パートが短いので比較的読みやすく、ネットでも読めるのでご興味おありの方はぜひぜひ。

 まあ、妖怪を基本的に否定し、その手の話を信じる人を無慈悲に論破していくスタンスについては、妖怪好きとしては相容れないところもありますが、そういう姿勢の人も時代的に必要だったんでしょうし、事例をこれだけ集めた点は素直に凄いと思えます。

 また、この円了的な姿勢へのカウンターとして、「いや、『いるかいないか』じゃなくて、何でそういう話が生まれて残ったのか考えようよ、そのために記録しようよ」という立場の柳田国男が現れて妖怪伝承を集め、その成果が戦後になってようやく本にまとめられ、それがちょうど「鬼太郎」をシリーズ化せんとしていたタイミングの水木しげるの手に届いたことで「実在の伝承をキャラとして取り入れていく」という戦後妖怪もののフォーマットが生まれ、さらに鬼太郎が息の長い作品になったおかげで私が去年ノベライズの仕事で印税を頂いて……という流れを思うと(このくだり、かなり強引に端折ってますので、詳しく知りたい方はちゃんとした本を読んでください)、妖怪史的にはめちゃくちゃ大事な人であり、個人的にもお世話になっているのだなあと言わざるを得ないわけです、円了先生。

www.poplar.co.jp

 

 で、前置きが長くなりましたが、この円了先生が自身の哲学的理念を反映させて作った公園が、新宿は中野にある哲学堂公園

www.tetsugakudo.jp

 公園の案内を見てもらうと分かるんですが、「無尽蔵」とか「理想橋」とか、施設のネーミングがいちいちかっこいいんですね、ここ。

 特に書庫の名前である「絶対城」は、「あらゆる書物を集めて読み尽すことで人は『絶対』の境地に至れる」という由来も込みで大変にクールかつロックで、一応わたくしの代表作であるところの「絶対城先輩の妖怪学講座」の主人公の「絶対城」という名前はここから拝借しております。「妖怪学」も勿論円了のそれがベースになってます。

 ちなみに「絶対城先輩の妖怪学講座」は、円了由来の妖怪学を修める変な学生が、仲間とともに妖怪伝承の正体を暴いていくという全十二巻の伝奇連作です。先日合本版も電子書籍で出ましたので、ご興味おありの方は宜しくお願いいたします。

 今回宣伝が多いな。

www.kadokawa.co.jp

 本物の絶対城がどういう施設なのかは後述するとして、まず入口から。

 ここの入口である「哲理門」の中には、唯心論(精神)の象徴たる幽霊と唯物論(物質)の象徴である天狗の像が鎮座しています。

「絶対城先輩」の主人公の相棒が「湯の山礼音」(苗字と下の名前を繋げると「ユーレイ=幽霊」)と「杵松明人」(「天狗=アマツキツネ」のアナグラムがベース)の二人なのはこれが由来です。

 現在の公園の門にある像は彩色されたレプリカで、オリジナルの像は保存のために哲学堂公園近くの中野区歴史民俗資料館に所蔵されているんですが、今ちょうど(4月14日まで)公開されております。というかそもそもそれを見に行ったんですよね、今回。

 というわけでこれが円了発注のオリジナルの天狗と幽霊の像です。コワイ!

 


 画像がボンヤリしているのは展示室がかなり暗く光量が少なかったためです。同館の公式アカウントが見やすい写真をアップしてくださってたのでそっちも貼っておきます。

 二、三分いたら目が慣れてきてかなり見えるようになりましたが、暗い部屋で腕を組んで無言でジーッと幽霊を眺めてるおっさんは、こわごわ入ってきた小学生の兄弟にはかなり不気味に見えたことと思います。実際ビクッとされました。

 こわくないよ。おじさんは幽霊の歯や天狗の足の爪を凝視していただけだよ。

 

 閑話休題哲学堂公園探訪記の続きに戻ります。

 天狗と幽霊が陣取る哲理門をくぐると広場がありまして、その向こうに見える白い建物が「絶対城」です。

 城というネーミングにもかかわらず箱めいたシンプルな形状、天井に延びる梯子のデティール、木々の中に真っ白の建物がドンとある佇まいの面白さ! 美人な建物だなあ! と来る度に思います。今回も思いました。

 近くにはベンチもあるので、公園入口にある昔ながらの佇まいの売店で煎餅とコーヒーなど買った上でベンチでのんびり眺めると贅沢な時間が味わえます。ビールとか売ってるとなお嬉しかった。

 

 で、この絶対城がある広場には「時空岡」というクールな名前があるんですが、絶対城の他にも色々な建物があり、それぞれ「三學亭」「六賢台」「四聖堂」「宇宙館」「無尽蔵」と名づけられています。(上の写真で言うと右の塔が六賢台、左の建物が四聖堂)

 どれも名前がイカしますね。「絶対城先輩」シリーズがライバルが続々登場するバトルものだったら「宇宙館後輩」とか出てきてたと思います。「理想橋」と「無尽蔵」は多分ラスボス候補。

 この公園、広場以外にも池やら岡やら橋やらと盛りだくさんで、タヌキや鬼を模したオブジェ(燈台)なんかもありますし、それぞれにちゃんと哲学的な意味もあるので大変奥深いんですが、全部紹介するとキリがないので気になった方は公式の案内をご覧ください。

 

 

 まあ、いちいち哲学的な意図を読み解かなくとも、結構広くて高低差もある公園ですから普通に歩き回るだけでもどんどん景色が変わって楽しいですし、いい運動にもなります。

 実際、運動に向いてる公園だと思うんですよね哲学堂公園。ランニングもできますし、身体を動かす広場もある。

 で、ここを日々のトレーニング場に使っていた武道家として知られるのが、山地闘破、またの名を戸隠(とがくれ)流正当・磁雷也。そう、世界忍者戦ジライヤの主人公ですね。

 この哲学堂公園、「ジライヤ」ではトレーニングするシーンでよく出てきます。

 主人公の闘破が兄弟弟子のケイや学と公園内の川沿いの道をランニングした後、先述の時空岡の広場で稽古をしていると、知り合いの世界忍者が訪ねてくる……という場面が何度かあります。

 具体的に言うと31話「パリで見つかった武田信玄の愛刀」では、異形忍紅トカゲ(いぎょうにん・べにとかげ)が、44話「磁雷神大爆破!!戦場の父と娘」では、爆忍(ばくにん)ロケットマンが、ここで稽古中のジライヤたちと再会しています。頭がとんがった世界忍者がよく来る公園だと言えましょう。

 個人的には、44話で哲理門にギリギリのところで引っかかりそうで引っかからないロケットマンの頭頂部が見どころだと思います。

 というわけで「ここで紅トカゲが磁光真空剣の威力を見せてくれとせがんだのか……!」とか感動して帰ってきたんですが、帰宅後に調べたところ、ジライヤ一家の自宅であるマンション(として使われたロケ地)もすぐ近くにあったことを知りました。

ameblo.jp

 あんなに近くにあったのか武神館!

 つまり哲学堂公園は作中設定的にもリアルに主人公たちの家の最寄りの公園だったわけで、トレーニング場に使うのも納得です。マンションも見てくりゃ良かった。

 

 なお哲学堂公園に来た東映ヒーローはジライヤだけでなく、「アクマイザー3」の三人も訪れています。

 28話「なぜだ?!恐怖のテングあやつり」では、その回の怪人であるアクマ族・オニテングの本拠地がここの地下にあったという設定で、クライマックスのバトルが哲学堂で繰り広げられます。

 まず、アクマイザー3の三人であるところのザビタン・イビル・ガブラが

「ザラード!」「イラード!」「ガラード!」

「「「唸れジャンケル! アクマイザー3!」」」

 の名乗りをあげたのがこの三學亭。

 神道平田篤胤儒教林羅山、仏教の釈凝然を祀った三角形の東屋で、ちょっと小高い位置にあり、三人組のヒーローが名乗るのに相応しいロケーションとなっております。

 続いてザビタンは六賢台(荘子朱子、龍樹、迦比羅仙、聖徳太子菅原道真を祀った建物)の前でアグマー兵(戦闘員)と戦い、四聖堂(孔子、釈迦、ソクラテス、カントを祀った堂)前でオニテングと戦った後、さらに宇宙館(講義室)の屋根に飛び乗って(!)アグマーに応戦、さらに絶対城の前で待ち受けるオニテングに切りかかる!

 一方イビルは四聖堂の縁側でアグマーと戦ってから手前の広場に移動! そしてガブラは絶対城の向かいのベンチで戦闘員と応戦した後、無尽蔵の前でリミッターを解除してデンブル(鉄球)を振り回し、その後再びザビタンにカメラが戻って、ザビタンとオニテングが三學亭前の広場で宇宙館と絶対城を背景に切り結ぶ! というフルコースぶりで、時空岡をフルに使っているため、当時の様子がよく分かります。

 というか当時は宇宙館の屋根に乗って良かったんだ。

 鬼と天狗の像がある場所に「オニテング」が陣取っているというのもなかなか興味深いですし、井上円了「行く道一つただ一つ、これがわれらの生きる道」(アクマイザー3主題歌「勝利だ!アクマイザー3」より)みたいな生き方の学者だったので、ある意味アクマイザーの三人に相応しいロケーションだったと言えるかもしれませんね。知らんけど。

 で、このアクマイザーの哲学堂ロケ、ネットで見て回っても言及してる人が少なくてですね。

 とはいえロケ地探訪ブログをアップしてる方もおられまして。

showalocations.blog.fc2.com

 たいへん詳しく紹介されていたので、やはり気付く人は気付くんだなあ……と思って読み進めていくと、この公園がアクマイザー3に使われていることは、小説家・峰守ひろかずさんのツイッターで知りました」のこと。僕やんけ。世界の狭さを感じました。

 というわけで後半は妖怪学ゆかりの地というより東映ヒーローロケ地探訪記になってしまいましたが、哲学堂公園に行ってきましたよ、という日記でした。

 

 ちなみに井上円了のお墓は哲学堂公園のすぐ向かいにある蓮華寺にありまして、せっかく来たので拝ませてもらってきました。

「井」「円」を象ったアバンギャルドな造形が「これは井上円了の墓です!」と全力で主張しており、強さを感じました。いつもお世話になっております。

金沢の書店さんと、あと金沢の妖怪スポット巡ってきました(金石編)

 先日、新刊「少年泉鏡花の明治奇談録 城下のあやかし」が発売されまして、本作の舞台である金沢近隣の書店さんを回ってサイン本など作らせてもらってきました。

www.poplar.co.jp

 

 まずこちらは金沢ビーンズ明文堂書店さま。

日本最大級の書籍専門館|金沢ビーンズ-明文堂書店金沢県庁前本店

 立派なコーナーに加え、鏡花の経歴のここにフィクションをねじこんでいるぞ!という分かりやすいパネルも作っていただいております。大変品揃えのいい大型書店さんで、個人的に色々買い漁ってきました。

 

 つづいて明文堂野々市店さま。入ってすぐ、新刊コーナーの目立つところに置いていただきました。ありがたい!

金沢野々市店|店舗情報|明文堂書店|TSUTAYA明文堂

 

 そして香林坊の東急にある「うつのみや」金沢香林坊店さま。

うつのみや金沢香林坊店 | うつのみや

 ここは新刊以外の予言獣大図鑑や同人誌「私家版金沢妖怪事典」まで並べていただいており、足を向けて寝られません。ポプラ社の営業の方も一緒だったんですが、同人誌の納入の話をして、しかも同人誌に延々サインする時間も取っていただきまして、ほんとありがとうございます。

 なお同人誌「私家版金沢妖怪事典」は、こちらの香林坊店と金沢駅構内の百番街店さんで販売中のはずです。現在、私のほうでは通販は行っておりませんので、お求めの際はそちらをご利用くださいませ。

 

 あと、ここは金沢ではないですが、私の地元の滋賀県高島市の平和書店あどがわ店さまの地元作家コーナーにもドカッと並べていただいてましたので、あわせて紹介いたします。

平和書店 あどがわ店 | ダイレクト・ショップ

 新刊に加え、同レーベルの「今昔ばけもの奇譚」「金沢古妖具屋くらがり堂」シリーズ、さらには結構前の「学芸員・西紋寺唱真の呪術蒐集録」や「うぐいす浄土逗留記」もあるのが嬉しい限り。

 写真には載ってないですが色紙も飾っていただきました。場所は道の駅のはす向かいで、郷土資料も充実してるお店なので、行楽のついでなどに立ち寄るのもおすすめです。

 

 閑話休題

 というかここからが本題です。

 これまでも金沢に来る度に妖怪がかった場所を巡ってきましたが(こちらが前回の記録です)、性懲りもなく今回も行ってきました。

 今回の目的地は金石(かないわ)エリア!

 金沢市中心部から見て西方向、海に面した地区である金石は、1943年に金沢市編入された地域です。そもそも私が金沢の妖怪を集め始めたのは「少年泉鏡花の明治奇談録」のネタ探しのためで、この作品の舞台である明治時代には金沢じゃなかったんですが、今の基準でリストアップしたおかげで「私家版金沢妖怪事典」にはしっかり入ってます。

 できればじっくりウロウロしたいところですが、余り時間も取れなかったので、場所を特定できるところを三か所だけピンポイントで回ってきました。

 さて、これまでの記事でも書きましたが、この手の妖怪現地探訪って当てが外れることが基本です。

 話の舞台とされてる場所や施設には実際は何も残ってないし、話を聞いてみても「そもそもそんな伝説は知らない」とか「伝説があるのは知ってるけど、うちには何もないですよ」と言われるパターンがまあ多い。

 なので今回も正直そんな期待せずに行ってみたんですが……すみませんでした。金石は凄かった。

 結果から先に言ってしまうと、訪問先の三か所全部に何かしらが残っており、話もしっかり伝わっていました。さらにこっちが知らないネタまで見つかったので、妖怪残存率133パーセントということになります。すごいぞ金石!

 

金刀比羅神社

 海のすぐ近くにある小さな神社です。

「私家版金沢妖怪事典」にはこの神社の名前は出てきてないんですが、このあたりにはこういう話が伝わっております。

 秋葉神社(金石西)と向かい合って建つ延寿寺の鏑木氏の家には、「狐の飯蓋(めしかい)」という、小さくて鉛色をした石のような硬いものが伝えられている。

 これは元和二年(一六一六年)、修行の旅に出た延壽寺二代目の秀船坊が、ある雨の夜に九州で出会った白狐から譲り受けたもの。狐が「私のこの飯蓋(飯茶碗)は不思議な力を持っている、命より大事なものですが、貴僧のそれ(傘)と取り替えてほしい」と頼み込んだので、秀船坊は傘と飯蓋を取り替えて金石へと持ち帰った。

 その後、飯蓋を手放して神通力を失った白狐は飯蓋を取り戻そうとして、何度も鏑木家の天窓から忍びこもうとしたため、秀船は天窓を閉ざした。これ以来、鏑木家では天窓を開けることはなく、改築しても天窓を設けなくなった。飯蓋は狐の祟りを恐れて床下深くに埋められたという。
(「北國新聞」昭和五年七月二十三日より)

 白狐が何をしたいのかよく分からないし、飯貝がどういうものなのか(茶碗なのか石なのか?)もよく分からないという、つかみどころのない話です。

 正直、行く前から、ここは何もないだろうなーと思ってたんですよね。何せ、地図で見ると、金石西の秋葉神社の向かい側にお寺なんか無いんです。

 で、実際に行ってみてもやっぱりない。あるのは金刀比羅神社という神社だけ……だったんですが、社務所兼ご自宅の表札が「鏑木」さんだったんですね。

 話に出てくる家と同じ名前で、ついでに言うと、ざっと拝見する限り、家には天窓の類もない。これはもしかして……と思って神社の方に尋ねてみると、ビンゴでした。

 こちらの金刀比羅神社、元は延寿寺というお寺で、しかも狐の飯貝(※私の「金沢妖怪事典」では「飯蓋」と表記しましたが、神社の方は「飯貝」の字を使われてました)の話もこの家に確かに伝わっているとのこと。ワオ! 

 さらに聞くと、この地域にはそういうことに詳しい方もいるし、詳しく書いた本もあるが、その本は今ちょっとどこにあるか分からんのよ……とのことだったので、「じゃあ図書館で探してみます、ありがとうございました」とお伝えして、名詞もお渡しして神社を後にしたんですが、そのニ十分後くらいに神社から電話がかかってきたわけです。

「さっき言ってた本があったが、私はもうすぐ出かけなあかん」「今すぐ来られるか?」とのこと。そんなこと言われたら行くしかないわけで、雨の中(当日はまあまあ悪い天候でした)を、折り畳み傘を構えながらダッシュしまして、そこで見せてもらったのが「能登の宗教・民族の生成」という本でした。

 

 こちらに掲載されている鏑木紀彦さんの「能登国石動山大蔵坊の里修験 ―加賀国宝光院(延寿寺)の事跡から―」によると、延寿寺はもともと修験道の道場だったのが江戸時代中期に延寿寺と改称、明治元年神仏分離令により延寿寺は金刀比羅神社になったが、今も修験的な性格を持っている、とのことでした。なるほど!

 つうか、ということは「狐の飯貝」の記事が新聞に載った昭和五年だったら、とっくに延寿寺は金刀比羅神社になってたはずで、なんで記事には古い名前で載せてるんだよ!とは思いました。

「狐の飯貝」自体については、私が見たのと同じ記事を引用されていただけだったので情報量は増えることはなく、飯貝が実在するかどうかにも触れられていませんでした。ちょっと残念。

 しかしさすがに地元の専門家の文章だけあって周辺情報が詳しく補足されており、説話の設定年代の元和二年は延寿寺(当時の名前は宝光院)秀船が二代目を襲名した年で、元和二年に実際に跡職相続のために本山へ出向いた記録もあり、また秀船は優れた修験者として知られており、加持祈祷や卜占、護符作成等を積極的に行っていたようなので、そのあたりからこの伝承が生まれたのであろう、とのことでした。

 他にも宝光院由来の修験者をアピールする話は多いようで、狐というよりそれに相対した秀船の強みを知らしめるための話なのだな、ということがよく分かりました。改めて感謝申し上げます。

 なお、この本や神社の方のお話によると、「狐の飯貝」の話は2011年には地元の方が紙芝居にしたとか。「ああ、狐の飯貝な」とスッと話が通ったことも合わせ、地元の現役の話としてしっかり残っているのが印象的な訪問となりました。

 ちなみに、こちらの場所を特定するきっかけとなった向かいの秋葉神社は、本殿の後ろがすぐ海岸というロケーションで、スケール感がおかしくなるようなだだっ広い海岸が目の前に広がっており、琵琶湖の狭い浜に慣れている滋賀県民としてはカルチャーショックを受けるなどしました。これが北陸の海……!


▽龍源寺

 先の金刀比羅神社から歩いてニ十分くらい?のところにあるお寺です。

 こちらには何が伝わっているという話はないのですが、化け猫の話に出てくるんですね。

 

 旧金石町海禪寺町(金石海禅師町)にて、作太郎という魚商が、仁三(じんぞう)という老いた猫を飼っていた。この仁三は、飼い始めた頃からすでに二十数年を経ていた老猫で、年を経るごとに、老婆に扮して踊ったり人の姿で他家に入り込んだりした。

 作太郎が大鯛二尾という注文を受けたが手に入れられず困っていた時には、どこからか見事な鯛を運んできたこともあるが、ある時、隣家の祭壇の食物を盗み、その家の老婆に火箸で腹を刺されてしまって姿を消した。

 その後、老猫は山中温泉で傷を癒やして老婆に復讐しようとした。作太郎の家人の夢に現れた老猫が復讐のことを語ったと聞いた老婆は行いを悔い、龍源寺(金石西)の飯炊きとなって仏恩に縋ったという。
(「金石町誌」より)

 長く飼われていた猫が怪しいことをやるようになるというパターンの化け猫譚です。龍源寺はラストでサラッと出てくるだけで、何が残ったという話でもないんで、まあ物証は何もないだろうなーという失礼な気持ちで訪ねてみたんですよ。するとご住職が仰るには「その話はよく知らないが『猫塚』はある」とのこと。

 で、教えられたとおりに墓地の端に行ってみたら確かにありました。猫塚が。しかも二基も。

 今もちゃんと供養されているようで、塚は綺麗で、最近も線香や花を供えた痕跡もあります。

 が、しかし、これは何を祀ったものなのか……?

 私の知ってる「仁三」の話だと、猫が祀られて終わるわけではないし、どうも別の話に由来してる気がするんですが、今のご住職いわく「先代以前のことなのでよく知らない」とのことで、詳しいことは分かりませんでした。

 今後の調査が期待されます(丸投げ)。

 

▽道入寺

 今回のメインの目的地だったお寺です。

 ここに伝わってるのは皆様ご存じ(決めつけ)、飴買い幽霊譚。

 そもそも金沢は飴買い幽霊伝説が異様に多い土地でして、私の知ってるだけでも二十くらいのバリエーションがあり、「このお寺の墓に出ました」と具体的な場所が入ってるパターンも多い。まあ実際に行くと何もなかったりするんですが、しかしこの道入寺は(たぶん)違う。

 何せ、最古の飴買い幽霊譚の舞台とされるお寺のご住職直々に「金沢の飴買い幽霊と言えば道入寺」と名指しされた場所ですからね。

 ちなみに、ここに伝わってる話はこんな感じです。

 江戸時代、妊娠したまま亡くなった「たみ」という女性は、土葬されてから生まれた赤ん坊のために、毎晩、幽霊となって現れ、板屋という飴屋のところに飴を買いに来ていた。

 飴屋と道入寺(金石西)の六代目の和尚に発見された赤ん坊は「境応」という名を与えられ、道入寺の七代目の和尚となった。

 この境応がある日、寺を宿とした絵の先生に母の話を語り、「母の像を描いて貰えんか」と求めたところ、旅人は幽霊の絵を描いて残していった。この旅人は幽霊画で知られた円山応挙であり、寺に残された絵は涅槃会と旧盆に開帳されている。
(「金沢の昔話と伝説」より)

 これが基本形ですが、他にも……

  • 亡くなった女性の名前が「ゑみ」であるパターン
  • 男児の後の名前が「道玄」であるパターン
  • 飴屋の名前が「油屋」であるパターン

 ……などがあり、また、幽霊の掛軸についても……

 ある夜、とある金貸しのところを訪れた見知らぬボロボロの老婆が置いていったもの。それきり老婆は姿を見せず、掛軸はあまりに恐ろしい絵だったので道入寺へと納められた。

 ……という、飴買い幽霊と一切関係ない形の話も伝わっています。

 ではお寺ではどう伝えられているのか。そもそも件の掛軸はあるのか?

 ご住職にお尋ねしたところ、掛け軸は確かにありますよ、とのことでした。

 毎年3月15日とお盆にご開帳されてるそうで、行ったのが3月12日だったので三日後だったら見られたんですよね。残念!

 なお、こちらのお寺はもともと掛け軸を多く所有しておられ、幽霊以外のものもあるそうなので、掛軸コレクションが先にあってできた話なのかなーとちょっと思ったりもしました。

 ちなみにお寺では「幽霊の本名は宮越寺町の布屋のたみ」「飴屋の名前は『油屋』」「男児は道玄という僧侶となって七代目住職となり、丸山(円山)応挙に幽霊の姿を描いてもらった」という内容のお話を語られているとのこと。

 掛軸が実際に応挙の作品かどうかは不明ですが、ご住職が「伝説だからいろんな話があるもの」「史実半分伝説半分」というふわっとした表現をしておられたのが印象的でした。

 ちなみに先の金刀比羅神社(鏑木家)はここの檀家さんだそうで、鏑木家のお墓は鳥居を擁した独特な形状のものでした。


 最初、入口を間違えて裏の墓地から入ってしまったんですが、お寺の墓地に鳥居がバーンと立ってるから何だこれは?と思ったら、神社の(しかもさっき行ったばかりの神社の)お墓だったという。

 というわけで、成果も多い上に地域の繋がりを感じられる訪問でした。

 

 以下は余談です。この日は金石で見かけたラーメン屋で昼食を食べたんですが、いかにも近所の人がふらっと来る、昔ながらのラーメン屋って感じのお店でして。

チュー 金石店 - 三ツ屋/ラーメン | 食べログ

 メニューにはカツ丼なんかもあるし、キッチンには木製のおかもちが並んでいて出前の人が出入りしており、その光景に「こういうのほんとに今もあるんだ」という感動を覚えたりしました。おかもちってリアルでは初めて見たかもしれない。

 最初はラーメンだけ頼んだんですが、隣のおじいさんの餃子が美味そうだったのでそれも追加で注文しまして、美味かったことです。

軽い気持ちの調べもので難儀した話、あるいは水木しげる先生を信じ切れなかった話

 おかげさまで新刊「少年泉鏡花の明治奇談録 城下のあやかし」が先日発売されました。

 その発売記念というわけでもないですが、あとがきに書ききれなかった執筆中のこぼれ話的なやつを一つ。

 いうまでもなく本作はバキバキのフィクションですが、登場人物の一部や舞台などは実在のものをモチーフにしており、主人公の「少年泉鏡花」こと泉鏡太郎さんも同名の実在の文学者がモデルです。実在された方である以上そのご親族や関係者も実在されていたわけで、そのあたりは史実を踏まえて描写しています。

 で、泉鏡花は何しろ高名な人気作家なので(時代も現代に近いですしね)評伝や研究書の類も多く、その経歴もはっきりしていまして、泉鏡花記念館のサイトにはこんな風に記載されています。

1873年(明治6年)

11月4日、金沢下新町23番地に泉家長男として生まれる。本名鏡太郎。父清次は彫金師、母鈴は江戸生まれ、葛野流大鼓師中田猪之助(万三郎のち豊喜)の娘。

 

泉鏡花 | 泉鏡花記念館

 

 今回の執筆時に引っかかったのがこのお父上、「清次」さんの読み方でした。

 小説の場合、初出の人名にはフリガナを振るのが基本です。で、私の書いた「城下のあやかし」、この清次さんご本人は登場しないんですが、主人公が「清次の息子の鏡太郎です」みたいに名乗るシーンが一回だけあるんですね。

 編集部から戻ってきたゲラ(原稿データを本の体裁に直したものだと思ってください)に、この「清次」にフリガナ付けません?という提案が赤字で入っておりました。人名なんだからそりゃ読み方は分かった方がいいわけで、調べ始めたんです。最初は軽い気持ちで。

 ところがこれが分からない。マニアックな関係者ならともかく、文豪ご本人の父親なので普通に載ってるだろうと思ったんですが、マジで出てこない。

 まず手持ちの資料をざっと見ました。「少年泉鏡花」は今回が二巻目で、私は元々鏡花作品は読んでましたし、以前に書いた本でも話題にしたこともあったので、とりあえず家にはアンソロジーやら不揃いの全集やら評伝やら研究書やら論文のコピーやらがだいたい三十点ちょっとくらいはあります。

 でも「清次」の読み方はどこにも載っていませんでした。

 次にネットで調べてみました。信用できそうなサイトをざっと見る。載ってない。

 そこで次は国会図書館デジタルコレクションの全文検索に頼ることにしました。最近の国会図書館のサイトでは著作権切れの古い本は中身が検索できるようになってるんですね。「泉清次」で全文検索を掛けると、誰でも見られるのが42件、送信サービス対象(これは特定の図書館のパソコンでだけ見られるやつです)314件、国会図書館内限定閲覧が124件ヒットしました。

 まず誰でも見られる42件に目を通したわけですが、またハズレ。どこにも「清次」の読み方は載っていませんでした。

 この辺で段々不安になってきましたが、でもまあさすがに分かってないってことはないだろう、たまたま見た本が悪かっただけだろう、と自分に言い聞かせ、京都府立図書館へ行きました。

 ここなら先述の国会図書館デジタルコレクションの送信サービス対象の約三百件が閲覧できるわけですが……ここでもまた当てが外れました。どこにも載ってない!

 ここで補足しておくと、他の家族の方の読み方はいくらでも普通に載ってるんです。たとえば鏡花の母親の「鈴」さんの読み方が「すず」であることは色んな本に載ってます。

 更に言うと問題の泉清次さんは彫金職人で、仕事をした時に使う「政光」という工名(ペンネームみたいなもんですね)をお持ちだったんですが、これの読み方も「まさみつ」と書いてある資料がちゃんとあります。「まさみつ」にはルビがあるのに同じページの「清次」にはルビがない本もあって、この辺でちょっと怖くなってきました。

 せっかく大きな府立図書館に来ていたので、石川県の人名事典やら各種評伝やら事典やら、あとは鏡花全集の解説なんかも片っ端から見てみましたが、やはり「清次」の読み方は載っていません。

 もう本文のセリフの方を変えようかとも思いましたが(「○○の息子です」と名乗るだけのシーンなので、いくらでも変えようはあります)、レファレンスカウンターで聞いてみたところ、さすが調べもののプロ! 素晴らしい回答をいただきました。

 レファレンス担当の方が見せてくれたのは、科研費助成事業の研究成果報告書でした。

https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-25370222/25370222seika.pdf

 藤女子大学の種田和加子先生の名前で出されたもので、課題名は「博覧会の時代と泉鏡花」。

 泉鏡花のバックグラウンドとして彫金師の父がいかに関与していたかについてを論じたもので、これのありがたいところは概要の英訳がある点です。「泉清次」に対応するところを見ると、ありました、「Izumi Seiji」の表記が!

 なるほど! 「せいじ」! ありがとうございます! 解決!

 ……と喜んではみたものの、できればこれの根拠も欲しいところです。これだけだと何を参考にしてこう記述したのかが分からない。

 レファレンスカウンターでは「鏡花を扱った子供向けの本とか学習漫画って無いですかね、児童書なら全部にルビがあるかと思うんですが」「うーん」みたいな話もしたんですが、結局ちょうどいい資料は見つけられませんでした。

 で、その帰り道、ふと気付いたわけです。

 もしかして「あれ」に載ってるんじゃないか、と。

 というわけで電車の中でタブレットを取りだして電子書籍アプリを立ち上げ、開いてみました。水木しげる御大著「神秘家列伝」第四巻を!

www.kadokawa.co.jp

「神秘家列伝」は妖怪がかった実在の人物を取り上げた伝記連作で、これの四巻では鏡花も扱われています。もしやと思って見てみると、鏡花の生まれを記したプロローグ部分、「清次」にしっかり「せいじ」とルビが振られていました。あった! やっぱり「せいじ」で間違いないらしい! ありがとうございます水木先生!!

 と喜んではみたものの(二回目)、ここで再び悩んだのも事実です。

 言うまでもなく水木先生のことは尊敬していますし(仕事の上でも大変お世話になっております)(「ゲゲゲの鬼太郎」第6期ノベライズ発売中です)、「神秘家列伝」はしっかり取材して描かれた作品だとも思います。泉鏡花を扱ったエピソードとして、あまり引用されることがない(そして個人的に好きな)「北国空」の雪上臈(雪女)のくだりが入ってるあたり、専門家の知見がちゃんと踏まえられている作品だとは思います。

 思いますが、思うんですが、しかし欲を言えば、他の参考資料が欲しい……!

 

 というわけで最終的に泉鏡花記念館さんにメールでお尋ねしたところ、読み方は「せいじ」で合っていました。曰く、根拠は

……とのことです。

 証書は確認できませんでしたが、記念館の方がそういう証言があると言われるならそうなのだろう!

 というわけで、ようやくルビを振ることができた、という話でした。いやー大変だった。

 余談ですが、図書館司書資格講座の関係者におかれましては、この「泉鏡花の父親の読み方」、レファレンスの例題にちょうどいいと思います。

 

 そしてこっちは後日談ですが、先日、新刊の献本とこの件のお礼を兼ねて泉鏡花記念館に行ってきたところ、展示室に入ったところに飾られている鏡花の生い立ち紹介パネルにも「清次」のルビはありませんでした。他の家族や関係者はだいたいルビ付きなのに。博士これは一体。