おかげさまで新刊「少年泉鏡花の明治奇談録 城下のあやかし」が先日発売されました。
その発売記念というわけでもないですが、あとがきに書ききれなかった執筆中のこぼれ話的なやつを一つ。
いうまでもなく本作はバキバキのフィクションですが、登場人物の一部や舞台などは実在のものをモチーフにしており、主人公の「少年泉鏡花」こと泉鏡太郎さんも同名の実在の文学者がモデルです。実在された方である以上そのご親族や関係者も実在されていたわけで、そのあたりは史実を踏まえて描写しています。
で、泉鏡花は何しろ高名な人気作家なので(時代も現代に近いですしね)評伝や研究書の類も多く、その経歴もはっきりしていまして、泉鏡花記念館のサイトにはこんな風に記載されています。
11月4日、金沢下新町23番地に泉家長男として生まれる。本名鏡太郎。父清次は彫金師、母鈴は江戸生まれ、葛野流大鼓師中田猪之助(万三郎のち豊喜)の娘。
今回の執筆時に引っかかったのがこのお父上、「清次」さんの読み方でした。
小説の場合、初出の人名にはフリガナを振るのが基本です。で、私の書いた「城下のあやかし」、この清次さんご本人は登場しないんですが、主人公が「清次の息子の鏡太郎です」みたいに名乗るシーンが一回だけあるんですね。
編集部から戻ってきたゲラ(原稿データを本の体裁に直したものだと思ってください)に、この「清次」にフリガナ付けません?という提案が赤字で入っておりました。人名なんだからそりゃ読み方は分かった方がいいわけで、調べ始めたんです。最初は軽い気持ちで。
ところがこれが分からない。マニアックな関係者ならともかく、文豪ご本人の父親なので普通に載ってるだろうと思ったんですが、マジで出てこない。
まず手持ちの資料をざっと見ました。「少年泉鏡花」は今回が二巻目で、私は元々鏡花作品は読んでましたし、以前に書いた本でも話題にしたこともあったので、とりあえず家にはアンソロジーやら不揃いの全集やら評伝やら研究書やら論文のコピーやらがだいたい三十点ちょっとくらいはあります。
でも「清次」の読み方はどこにも載っていませんでした。
次にネットで調べてみました。信用できそうなサイトをざっと見る。載ってない。
そこで次は国会図書館デジタルコレクションの全文検索に頼ることにしました。最近の国会図書館のサイトでは著作権切れの古い本は中身が検索できるようになってるんですね。「泉清次」で全文検索を掛けると、誰でも見られるのが42件、送信サービス対象(これは特定の図書館のパソコンでだけ見られるやつです)314件、国会図書館内限定閲覧が124件ヒットしました。
まず誰でも見られる42件に目を通したわけですが、またハズレ。どこにも「清次」の読み方は載っていませんでした。
この辺で段々不安になってきましたが、でもまあさすがに分かってないってことはないだろう、たまたま見た本が悪かっただけだろう、と自分に言い聞かせ、京都府立図書館へ行きました。
ここなら先述の国会図書館デジタルコレクションの送信サービス対象の約三百件が閲覧できるわけですが……ここでもまた当てが外れました。どこにも載ってない!
ここで補足しておくと、他の家族の方の読み方はいくらでも普通に載ってるんです。たとえば鏡花の母親の「鈴」さんの読み方が「すず」であることは色んな本に載ってます。
更に言うと問題の泉清次さんは彫金職人で、仕事をした時に使う「政光」という工名(ペンネームみたいなもんですね)をお持ちだったんですが、これの読み方も「まさみつ」と書いてある資料がちゃんとあります。「まさみつ」にはルビがあるのに同じページの「清次」にはルビがない本もあって、この辺でちょっと怖くなってきました。
せっかく大きな府立図書館に来ていたので、石川県の人名事典やら各種評伝やら事典やら、あとは鏡花全集の解説なんかも片っ端から見てみましたが、やはり「清次」の読み方は載っていません。
もう本文のセリフの方を変えようかとも思いましたが(「○○の息子です」と名乗るだけのシーンなので、いくらでも変えようはあります)、レファレンスカウンターで聞いてみたところ、さすが調べもののプロ! 素晴らしい回答をいただきました。
レファレンス担当の方が見せてくれたのは、科研費助成事業の研究成果報告書でした。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-25370222/25370222seika.pdf
藤女子大学の種田和加子先生の名前で出されたもので、課題名は「博覧会の時代と泉鏡花」。
泉鏡花のバックグラウンドとして彫金師の父がいかに関与していたかについてを論じたもので、これのありがたいところは概要の英訳がある点です。「泉清次」に対応するところを見ると、ありました、「Izumi Seiji」の表記が!
なるほど! 「せいじ」! ありがとうございます! 解決!
……と喜んではみたものの、できればこれの根拠も欲しいところです。これだけだと何を参考にしてこう記述したのかが分からない。
レファレンスカウンターでは「鏡花を扱った子供向けの本とか学習漫画って無いですかね、児童書なら全部にルビがあるかと思うんですが」「うーん」みたいな話もしたんですが、結局ちょうどいい資料は見つけられませんでした。
で、その帰り道、ふと気付いたわけです。
もしかして「あれ」に載ってるんじゃないか、と。
というわけで電車の中でタブレットを取りだして電子書籍アプリを立ち上げ、開いてみました。水木しげる御大著「神秘家列伝」第四巻を!
「神秘家列伝」は妖怪がかった実在の人物を取り上げた伝記連作で、これの四巻では鏡花も扱われています。もしやと思って見てみると、鏡花の生まれを記したプロローグ部分、「清次」にしっかり「せいじ」とルビが振られていました。あった! やっぱり「せいじ」で間違いないらしい! ありがとうございます水木先生!!
と喜んではみたものの(二回目)、ここで再び悩んだのも事実です。
言うまでもなく水木先生のことは尊敬していますし(仕事の上でも大変お世話になっております)(「ゲゲゲの鬼太郎」第6期ノベライズ発売中です)、「神秘家列伝」はしっかり取材して描かれた作品だとも思います。泉鏡花を扱ったエピソードとして、あまり引用されることがない(そして個人的に好きな)「北国空」の雪上臈(雪女)のくだりが入ってるあたり、専門家の知見がちゃんと踏まえられている作品だとは思います。
思いますが、思うんですが、しかし欲を言えば、他の参考資料が欲しい……!
というわけで最終的に泉鏡花記念館さんにメールでお尋ねしたところ、読み方は「せいじ」で合っていました。曰く、根拠は
……とのことです。
証書は確認できませんでしたが、記念館の方がそういう証言があると言われるならそうなのだろう!
というわけで、ようやくルビを振ることができた、という話でした。いやー大変だった。
余談ですが、図書館司書資格講座の関係者におかれましては、この「泉鏡花の父親の読み方」、レファレンスの例題にちょうどいいと思います。
そしてこっちは後日談ですが、先日、新刊の献本とこの件のお礼を兼ねて泉鏡花記念館に行ってきたところ、展示室に入ったところに飾られている鏡花の生い立ち紹介パネルにも「清次」のルビはありませんでした。他の家族や関係者はだいたいルビ付きなのに。博士これは一体。