峰守雑記帳

小説家・峰守ひろかずが、見聞きしたことや思ったことを記録したり、自作を紹介したりするブログです。峰守の仕事については→ https://minemori-h.hatenablog.com/

泉鏡花記念館と金沢の妖怪スポット(野町・寺町編)回ってきました

 地震の影響でしばらく閉館されていた泉鏡花記念館が先週末から再開館されたので、延期されてた「山海評判記」展を見るべく、あと、新作執筆時に色々お世話になったのでその礼をお伝えしつつ新作を献本するべく、金沢に向かい、(個人的にはお馴染みの場所である)暗がり坂を登り、行ってまいりました、鏡花記念館。

 

 

 どういう具合にお世話になったかは長くなるのでいずれ別の記事にするつもりですが(まさか「あれ」を調べるのがあんなに手間だとは思いませんでした)、まずは再開館おめでとうございます。

 そして「新聞原紙で読む「山海評判記」」展。

「山海評判記」は鏡花の晩年の代表作としてよく出てくる作品で、読んでみるとデティールは面白いし、あの伝説やあの学説をこう使ったのかというところも面白い。昔話だと単なる仇を討ちにくる化け物であるところのムジナの未亡人がやたら格が高くて妖艶になってるあたりは流石鏡花先生だし、その他印象的な場面はいくつもあるんですが、反面、トータルで見るとどう受け止めていいか分からない話でもあり、特別展を見ることで「なるほど、そういう風に要約できるのか……!」と納得してきた次第です。

 なお、鏡花記念館さんのご教示もあって完成した「少年泉鏡花の明治奇談録 城下のあやかし」は来月発売です。「山海評判記」を露骨にオマージュしている場面もあるので、よろしくお願いいたします。

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 で、せっかく金沢に来たので、今回も巡ってきました、金沢妖怪スポット!

 ちなみにこれまでに巡った時の記事はこちら↓です。

金沢行ってきました(妖怪スポット巡り① 市街地編) - 峰守雑記帳

金沢行ってきました(妖怪スポット巡り② 山と川編) - 峰守雑記帳

金沢の妖怪スポットをまた巡ってきました - 峰守雑記帳

 なお、金沢の妖怪伝承をまとめた同人誌「私家版金沢妖怪事典」、通販分は品切れ中ですが、金沢駅構内の書店さんであるところの「うつのみや」百番街店さんの金沢の本コーナーにはまだありました。金沢市立図書館でも読めるのでよろしくお願いいたします。

booth.pm

 今回ぶらついてきたエリアは寺町・野町の一帯。金沢駅から見ると、市内を流れる二大河川の一つ・犀川を越えたあたりです。寺町は名前通りとにかくお寺が多い区域で、お寺にまつわる伝説が多く残っています。

 こちらが寺町の地図。寺院の多さがよく分かります。

 今回は幸い天気も良かったので、犀川大橋のある野町から上流の寺町方面へとぶらぶら歩き、怪談奇談の舞台となっている寺院を回ってきました。

 

▽妙慶寺

 まずは野町の一角、犀川大橋にほど近い古刹であるこちらから。

 

 ここには天狗にまつわる伝承が残っており、「金沢古蹟志」などに記されています。

(以下、引用は基本的に「私家版金沢妖怪事典」より)

 延宝年間(一六七三~一六八〇年)に妙慶寺五世の向誉上人が鳶を子供らから助けたところ、鳶は天狗の使いであるため、その夜に天狗が礼を言いに現れ、火除けのお守りとして爪で「大」「小」の文字を書いた板額を置いていった。

 天狗の残した板額は今も本堂に掛けられており、この寺は「天狗さんの寺」と呼ばれている。妙慶寺が創立以来火難を逃れているのはこの額によると言われ、これを模写したものを火防の守りとして求める人も多い。

 和尚が助けた鳶は天狗の使いではなく天狗本人だったという話もある。

(「金沢古蹟志」他より)

 この話は比較的有名なようで、石川や北陸の伝説を扱った本ではよく見かけます。額が残っているならぜひ見てみたい。

 というわけでお寺の方に話を伺ったところ、額は現存しており座敷に飾ってあるが、座敷は工事中で一般には公開していません、とのことでした。

 現物を見られなかったのは残念ですが、伝承にまつわる遺物が実在しているという話が聞けただけでも嬉しかったりするものです。あることになってる遺物も文献も何一つ残ってないパターンも結構ありますのでね……(伏線)。

 ちなみにこの妙慶寺、「ここにいた僧侶が白山神社の神主に参詣を断られたので激怒して自害し、地震や大雨を引き起こして祟った」とか、「この寺の弟子だった僧侶が近くの川で『産女(うぶめ)』を助けたが、その僧侶は帰宅後倒れて亡くなった」といった、あまりありがたくない系の怪談にも名前が出てきます。

 養壽院という妙慶寺(野町)の僧侶は、白山神社の神主に参籠を拒絶されたことで怒り、元文五年(一七四〇年)五月二十五日に白山の麓の「あくたが淵」に身投げした。その夜、川上で地震や雷光・暴雨が起こり、淵から猛火が躍り上がって東へ飛んでいった。

 また、死後に生前の姿で東武伝通院の卓院長老を訪ね、出迎えた卓院を睨んで消えた。卓院はそれから七日のうちに亡くなり、人々は養壽院の怨霊の仕業だと恐れた。

(「三州奇談」より)

 産女とは出産で死んだ女の亡霊。妙慶寺の弟子の幽運が延宝七年(一六七九年)に犀川橋の川上の堤防を登った時に、髪を乱し、腰から下は血に染まった姿で現れた。「自分はこの世の者ではないので水が欲しい、人がくれる水しか飲めない」と訴えたので、幽運は犀川の水を二、三杯も飲ませた。女は水を飲み、もう思い残すことはないと言い残し、一礼して消えたが、幽運は庵に戻った途端に倒れ、二、三日患って死んだ。

(「咄随筆」より)

 なお、妙慶寺のすぐ近くからは犀川が見下ろせます。行った日は、いかにも北陸らしい曇天が、白山に連なる山々の上に広がっていました。

 

▽千手院

 犀川大橋に通じる大通りに面した細い参道を抜けた先にあるお寺で、名前通り千手観音を祀っていますが、「素麺(そうめん)地蔵」の名で知られる話の舞台でもあります。

 

 野町の千住院に安置されている木彫りの地蔵は、平城天皇の時代(八〇六~八〇九年)、弘法大師がこの地を訪れた際、夢枕に立った地蔵菩薩の言葉を受けて刻んだものと伝わるが、この地蔵は僧に化けて檀家の家を訪れ、素麺を求めたことがある。

 この話を聞いた人たちが、この地蔵が生身の仏か木彫りの像なのかを確かめるために地蔵のヘソに灸をすえたところ、地蔵は泣き、その灸の跡は膿んだという。

 その他、千住院の向かいの蕎麦屋に小僧に化けてしょっちゅう蕎麦を食いにいっては昼寝をしていた、地蔵堂の雨漏りを直すため地蔵が僧侶の姿になって藁をもらいに出歩いたといった話もあるが、ヘソに灸をすえられて泣くというオチはいずれも同じ。この地蔵には実際に涙とヘソの灸の痕跡が残っている。

(「北國新聞」昭和十二年八月二十八日より)

 話のバリエーションは色々ありますが、基本的に自分本位なあたりが憎めない地蔵です。

 記事に「残っている」と書いてある以上、おそらく地蔵は(少なくとも昭和十二年時点では)実在したはずで、現存しているなら是非見たかったんですが、参道の地蔵堂にはそれらしいお地蔵様は見当たらず。お寺もお留守だったために話を聞くこともできませんでした。無念。

 ただ、この千住院、素麺地蔵を抜きにしても、金沢に来た妖怪好きなら是非訪れてほしい場所です。なぜならば参道の入口から通りを挟んだ向かい側にあるんですね、金沢の妖怪を語る上で外せないあれが。

 

 そう! 「天狗ハム」のデカい看板が!

 

 

 ぼくらの! 街の! 天狗ハム!

 金沢の方にとってはお馴染みの、余所者にとってはカルチャーショックな「天狗乃肉」の看板、しかもビッグサイズということで、私は初見の際に十枚くらい写真を撮りました。

 ちなみに天狗ハムこと天狗中田本店はその名の通り天狗を祀る精肉店で、紛うことなき妖怪にまつわる組織なので(言い方)、妖怪愛好家の皆様におかれましては、これを見るためだけにここに来る価値があると言っても過言ではないかもしれないかもしれないような気がします。

「天狗中田本店」は新竪町にある精肉商で、天狗を守り本尊としている。明治四十一年(一九〇八年)に天狗坂を下った先の広見で創業した。創業者の中田氏は義経勧進帳で名高い安宅の出身であり、義経は天狗について修業したところから天狗を祀ったのだという。本店事務室には天狗の面を祀って毎朝神酒等を供え、創業記念日には神職を招き、正月には天狗の掛絵を飾って祝う慣例が守られている。

 なお、天狗坂という地名については不詳だが、天狗が出没した伝説があったものと思われる。かつてここには天狗を屋号とする居酒屋があり、天狗の面の酒杯を用いて酒を飲ませていた。杯の底に鼻があるため卓上に置けず、一気に飲み干すしかなかったので、店は繁盛したという。
(「昔話伝説研究第二号「加賀・能登の天狗伝説考」」より)

 

 

▽西方寺

 このエリアの観光名所であるところの忍者寺こと妙立寺の向かいにあるお寺。立派な動物霊園が併設されています。

 

 さて、金沢というのは「飴買い幽霊」の伝説が大変に多い土地です。

 この「飴買い幽霊」、全国的には「子育て幽霊」の名前の方が有名ですが、要するに妊娠したまま亡くなった女性が土中で出産するという話です。

「墓の中で生まれた子供」というモチーフは日本の怪談や妖怪譚ではド定番のネタで、ここをわざわざ読みにくるような方なら去年の暮れ以来何度も映画館で見たはずですね(決めつけ)。

 なお映画の後日談にあたる6期ノベライズ全5巻は発売中です。

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 閑話休題

 この西方寺に伝わっているのは飴買い幽霊ならぬ「飴買い地蔵」のお話。 

 西方寺(寺町)の墓地の入口に祀られている地蔵は、身重のまま埋葬された女性が墓の中で生んだ赤ん坊を憐れんで、男の姿となって毎晩飴屋に飴を買いに行った。飴屋の主人が男の後を付けたところ、地蔵の前で姿が消えたことで赤ん坊の存在が発覚し、助けられた赤ん坊は後に西方寺の住職となった。

 この地蔵は、削って煎じて飲むと子供の病気が治るとされたため、顔かたちが分からないほどに削られてしまった。

(「金沢の昔話と伝説」より)

 先ほどの素麵地蔵と比べるとだいぶ立派な地蔵ですが、ここにはちゃんと残っておられました。

 

 見事に顔面が完全に削られ尽くしています。

 なおこの西方寺、本堂の本尊脇に九万坊(金沢全域で信仰される天狗です)が祀られているという話もあるのですが、お寺の方がご不在で本堂も施錠されていたので、今も九万坊が祀られているのかは確認できませんでした。

 寺町五丁目の西方寺の本堂の本尊脇には九万坊(天狗)を祀る。住職は「窪の九万坊」こと満願寺山の九万坊と兼務。

(「金沢市史 資料編 一四 民俗」より)

 

▽浄安寺

「亡くなった前妻と比較されてキレた後妻の生霊が前妻の墓を毎晩荒らした」という、「普通は逆じゃない?」と思えてしまうような怪談の舞台となったお寺です。

 ある人が最初の妻を亡くした後に後妻を迎えたが、後妻は事あるごとに前妻と比較されて非難されたため、血の涙を流して悲しみ、やがて病気になった。

 同じ頃、前妻の墓に毎夜十時頃に黒雲がかかり、墓が鳴動し、叫び声が聞こえた。それを聞いた男と和尚が待ち構え、現れた黒雲に切りかかると黒雲は消えたが、そこに後妻が亡くなった知らせが届いた。墓を掘ってみると、前妻の顔あたりが引っ掻いて裂いたようになっており、後妻の生霊が死んでいる前妻に憑いて祟ったものとされた。

 享保十年(一七二五年)に寺町の淨安寺(浄安寺)の納所の僧が語った話。

(「咄随筆」「金沢古蹟志 巻二」より)

 亡くなってなお墓と死体をメチャクチャにされた前妻が不憫ですが、これまた無人だったので話は聞けず。

 そもそも物証が残っている話ではないので、何を見に行ったわけでもないのですが、山門を支える邪鬼?はキュートでした。

 

▽伏見寺

 金沢の地名の由来譚として知られる昔話、「芋掘り藤五郎」伝説ゆかりのお寺です。

 

「芋掘り藤五郎」は、かいつまんで言うと「金の在処を知っていても価値を知らなかった藤五郎が、都会から来た奥さんに金の価値を教えられた……というような話ですが、藤五郎は金で仏像を作ってこの伏見寺に納めたとされており、境内に入ってすぐ左手には藤五郎の墓とされる碑が立っています。

 

 本堂内には藤五郎の像もあるとのことですが、拝観は事前予約制だったので確認できませんでした。

 なお、この藤五郎の伝説には別のバージョンもありまして、そちらでは藤五郎は金と銀と鉄で三体の子牛の像を作って伏見寺に安置したことになっており、この三体の像が三小牛の地名の由来になったとか(「三小牛」は前述の九万坊を祀った黒壁山があるあたりです)、三体の像は毎年の暮れに動いて遊んだとか語られています。

 芋掘り藤五郎は金と銀と鉄の子牛の像を作って伏見寺(寺町)に安置し、これが「三小牛山」の名の由来となった。ある年の除夜には黄・白・黒の三体の犢(こうし)となって藤五郎のところを訪れ、それ以来、除夜には毎年こうやって遊ぶようになった。

(「金沢古蹟志 巻二十」より)

 妖怪好きとしては藤五郎本人よりもむしろこっちが気になるわけで、お寺の方に三体の牛の像はあるのか聞いてみました。

「ないです」

「三小牛の地名の由来になったという話も裏付けはないです」

 ……なるほど。

 まあそういうこともあります。

 というか妖怪ゆかりの場所に行くと、むしろそういうことの方が多いです。大丈夫。

 

▽立像寺

 寺町の一角、犀川に掛かる桜橋から少し上ったあたりにある古刹です。

 

 山門も本堂も鐘撞堂も古くて立派で、本堂は記録が残っている中では金沢市内最古の建物だそうですが、さらにここは金沢の飴買い幽霊伝説の発祥の地とも言われています。

 寛文(一六六一~一六七三年)の末年、犀川の野田寺町の団小屋を青ざめた女が毎夜訪れた。女は毎日二文ずつ持ってきて白餅を買い、団小屋の亭主が後を追うと立像寺(寺町)で消えた。

 先ごろ土葬した妊婦の墓を亭主と住持が掘り起こすと赤子がおり、周りには餅が五つ六つ並んでいた。この赤子は取り上げられて育てられて成人し、貞享四年(一六八七年)には母の十七年忌の作善を行ったという。

「咄随筆」の上巻にある話で、これが金沢における子育て幽霊譚の初出とされる。

 また、女が使ったお金は葉っぱに変わった、お地蔵さんのような小さな墓(石碑)を建てて供養したことで女は成仏した、という話もある。

(「金沢のふしぎな話 「咄随筆」の世界」「金沢の昔話と伝説」より)

 歴史のあるお寺だけあり、裏手の墓地も古く広くて、(先の地震の影響か倒れてしまっているものも多かったですが)近世以前の年号が記された石碑や地蔵も見受けられました。

 

 歴史のあるお寺で、残っている伝承も実に具体的。これは本当に物証があるのではないか。

 というわけでご住職に話を聞いてみました。

「石碑も墓も文献も何も残っていません」

「どこかで勝手にそういう話が出来ただけでしょう」

 ……なるほど。

 ご住職は「何かあれば観光に使います」とも言っておられ、本当に何もないようでしたが、飴買い幽霊のことを調べていると話すとこう仰いました。

「飴買い幽霊なら金石(かないわ)の道入寺に行きなさい」

 …………なるほど。

 いや、道入寺も飴買い幽霊ゆかりのお寺だってことは知ってるんですが、金石って金沢の海の方で、駅からだいぶ遠いんですよね。行くとなるとレンタカー借りるしかないだろうし、今回はちょっと無理です。しかし言われてしまった以上足を運ばないわけにはいかない。

 というわけで、次回、金石探訪編に続きます。多分。更新時期は未定です。