峰守雑記帳

小説家・峰守ひろかずが、見聞きしたことや思ったことを記録したり、自作を紹介したりするブログです。峰守の仕事については→ https://minemori-h.hatenablog.com/

金沢行ってきました(妖怪スポット巡り① 市街地編)

 前回の日記で書いた通り、先日、新刊「少年泉鏡花の明治奇談録」の刊行に合わせて金沢に行ってきまして、せっかくなので回れる範囲で妖怪スポットを回ってきました。というわけで今回はその報告など。金沢妖怪名所観光の参考にでもしていただければ幸いです。

 

 まず金沢の窓口、金沢駅周辺から。


 写真の鼓門は東口ですが、この反対側、西口に出たところの広岡町では、18世紀中ごろ、黒雲の中を何かに引き上げられるように飛びながら叫んでいた素性不明の「裸体の男」が目撃されています。電車が金沢駅に着いた時に海側に目を向けると、運が良ければフライング絶叫全裸男性が見られるかもしれませんね。

 

 なお、この記事内で太字表記している妖怪・怪異およびその出典資料については、2023年8月18日まで受注生産受付中の同人誌「私家版金沢妖怪事典」で解説されています。よろしくお願いいたします。

d-t-jsm.booth.pm

 

 また、今回取り上げたスポットや妖怪が登場する明治怪異ミステリー「少年泉鏡花の明治奇談録」、現代が舞台の人間妖怪友情連作「金沢古妖具屋くらがり堂」シリーズが発売中ですので、こちらもよろしくお願いいたします。

www.poplar.co.jp

www.poplar.co.jp

 

 前置きも済んだところで本題へ。

 香林坊は金沢の伝統的な繫華街ですが、八十年代にこの地区の再開発が進められた頃、東急の建物を作るために小さい祠を取り壊したところ、近所の家の二階に「大きな蛇」が現れたという話があります。


 この香林坊については、秘薬で前田利家の目を直した「光林坊」なる比叡山の僧侶が名前の由来だとか、代々鬼を祀っていた加賀藩「富永家」の屋敷があったとか色々ありますが、歴史と伝統のある香林坊の怪異スポットといえばこちら、「縁切り神」こと貴船神社

 鞍月用水沿いの小さな神社ですが「丑の刻参り」の名所として知られており、その由来は、嫉妬深い夫人が「死して後、男女の嫉妬の心を和らげんことを冥護すべし」と言い残して死んだ後、この地に祭られて縁切りの神となったものとか、縁談を拒んで死んだ娘を葬った場所だからだとか諸説あります。

 その他、この貴船神社には、古い「石仏」があったがその下を掘り下げた植木屋が倒れたので怖くなって埋め戻されたとか、境内の大きな松の木(これは本当に大きく、何せ神社より大きいです)に「白蛇」が垂れ下がっていたがこれは神様だということでそっとしておいたとか、色々伝わってます。

 

 そして、そこから少し足を延ばしたところを流れているのが大野庄用水。ここには「古き獺(かわうそ)」が住んでおり、享保時代、近くにあった小川家の屋敷にて、家財を一瞬で消す事件を何度も起こしたそうです。金沢のカワウソは妙にトリッキーな能力を使いがちなんですよね。


 また、この大野庄用水の異名は「御荷川」ですが、これは古くは「鬼川」で、先述の鬼を祀る富永家が開いたのでその名が付いたという話があります。

 余談ですが、このへんから視線を上げると見えるのが北國新聞社のビル。この北國新聞社明治43年には露骨に怪しい「雷雨仙人」なる人間が本社を来訪したとか、明治末期、本社内にあった「奇妙な便所」の中に淋病の神様が祀られていたとか色々あります。妖怪スポットがそこら中にある町、金沢。

 

 続いて、昔ながらの武家屋敷が立ち並ぶ長町へ。1752年9月19日の夜、約2mの「大いなる女の首」が電光と共に現れ笑いながらどこかへ去ったのがこのあたりです。運が良ければ見られるかもしれませんね。

 また、場所はこの長町ではないですが、武家屋敷界隈に出た妖怪は多いので、そういう雰囲気を味わうにもいいスポットだと思います。

 具体的には、巨大な牛の頭のようなものが角をビカビカ光らせて飛んでいく「牛鬼」(金沢の武家屋敷の周りにはでかい首が飛びがちです)、下女にいきなり覆いかぶさった正体不明の「何やらん」、庭の松の木に人の足だけがぶら下がっていたという「人の足」などが武家屋敷周りに出ています。

 

 長町から西側、犀川方面に向かうと法船寺がありますが、このお寺の墓地にあるのが「義猫塚」。猫より大きくて毒を持った古い鼠、人呼んで「怪鼠」が寺を荒らした時、これを退治するも相打ちになって死んだ猫たちを葬った塚です。

 側面に彫られた字が「義猫塚」と読める気がするので、多分これがそうなんだと思うんですけど、ちょっと自信がないです。

 

 ここで向きを変えて金沢城方面へ。

 なお、40度近い気温の中で法船寺の墓石を一つ一つ確かめていたところ、イヤな感じの汗が全身から滲み出してきて妖怪スポット巡りを中断せざるを得なかったため、ここから写真の季節が変わります。

 具体的に言うと、今年の冬、寒波で電車が止まって帰れなくなった時、開き直って市内観光した時の写真になります。おかげで金沢の印象が酷暑か大雪の二択になってしまっており、ちょうどいい時期に行きたいという思いが募っています。

 

 というわけで、まずは金沢城と言えばここ、石川門。

 この門の中にはかつて「蛇の池」と呼ばれた井戸があり、飛騨の匠の彫った龍の彫刻が毎晩井戸で水を飲んだので、この名前で呼ばれたとあります。

 また、1625年にははこの石川門の石垣の下に「蚺蛇」と呼ばれる怪しい蛇の一種が出たとあります。青色で光っていてその首は猫に似ていたそうです。悪い夢のような姿です。運が良ければ見られるかもしれませんね。

 ちなみに金沢城の本丸のあった場所は元々妖怪の跳梁跋扈する「魔所」であり、前田利家が入城した際、ここにいたモノたちを黒壁山に移したと言われています。その割には城には色々出るんですが。

 また、金沢城を囲む堀の一つ・いもり堀には「大なる蠑蚖(いもり)」、要するに巨大なイモリが住んでおり、だからここをいもり堀と呼ぶんじゃない? というフワッとした記録があります。

 

 金沢城の東側にはかつて味噌蔵町と呼ばれた地区がありますが、そこの坂に出たのが「槌ノ子(つちのこ)」

 ツチノコと言っても太った蛇ではなく、黒い木槌のような妖怪です。小雨の夜にこれが転がって光って笑い、出くわした人は病んでしまうという。

 で、それが出たという「ツチノコ坂」、別名「ツツノコ坂」が多分この写真の場所だと思うんですが、この坂、「小将町の中ほど」と書いてある記録もあれば、「賢坂辻通から味噌蔵町へ抜ける坂」としてある資料もあり、今一つ確信が持てません。あちこちの坂に出たという可能性もありますが。

 

 そして旧味噌蔵町のもう一つの妖怪スポットといえば「九人橋」。「この橋を十人で並んで渡るとそのうちの一人の影が消える」というもので、この橋が架かっていた川が多分ここだと思うんですが、これまた確信が持てておりません。ここに行ったのが大雪の日で、誰も歩いてなかったので、誰かに聞くというわけにもいかず……。

 

 そして急に場所が変わりますが、金沢を代表する妖怪といえば天狗で、その天狗を本尊としている老舗の精肉店がこちら、天狗ハムの「天狗中田本店」です。

 金沢市内のあちこちで支店や看板を見かけますが、本店は新竪町にあり、1908年に天狗坂と呼ばれる坂の下で開店したそうです。長い鼻がオシャレ。

 

 思ってたより長くなったので今回はここまで。次回、「山と川」編に続きます。